ストリートピアノ物語
都庁でもストリートピアノが設置されたことを知り、ケンは友だちのヤスと行ってみることにした。
新宿駅西口から歩くこと約10分。
思わず見上げてしまうぐらい都庁ビルは高かった。
緊張の反動なのか、思わず行動が早め早めになってしまう。
新宿は2人とも慣れない土地で、普段よりなんだか疲れが溜まっていく。
エレベーターに乗る前に持ち物検査が行われている。
良かった、何も言われずに通れた。
先に乗っていく人たちが見えた。
そしてやっとエレベーターに乗る番になった。
「緊張してる?」とヤスに聞かれたケンは「良い緊張をしてるよ」と答えた。
意外とエレベーターは早く、あっという間に45階の南展望室まで着いた。
時刻は14時30分。
都庁ピアノはいつでも弾けるわけではなく、午前の10時~12時、午後の14時~16時までが弾ける時間のようだ。
係員らしき女性も2人いて、1人の弾く時間が5分をオーバーしないように教えたりもしていた。
列に並ぼうとしたところ、ゆっくり目のバラードを弾く50代の男性がいた。
なんだかYouTubeの動画で観たことがあるぞ。
リンさんだ。XJAPANを主に弾かれているユーチューバーで、チャンネル登録者数も3万人いたはずだ。
偶然にもリンさんの生ピアノを弾けるとはラッキー。
順番を待ちながらも、うっとりと感動しながら自分の番を待った。
やがてピアノを弾く順番が自分の番となり、椅子の位置と高さの調整をする。
弾く曲は自分のオリジナル曲なので、そこまで間違える心配はなさそうだ。
ピアノの左横のほうには売店や椅子に座って、こちらを見ている一般人がいる。
中には外国人など老若男女さまざまだった。
弾いた曲は20代の時に作曲したオリジナル作品で、1番目と2番目は繰り返し演奏する曲で、3番目は左手の和音が4つ打ちの和音から可能な限り伸ばして弾く曲でBPM86ぐらいのバラードだ。
あまりミスすることもなく、無事に自分の番を終えてたくさんの拍手ももらうことができた。
帰りにヤスと新宿にあった喫茶店のベローチェに寄り、2人ともブレンドコーヒーを飲んで一息入れてから、それぞれ帰宅した。
ケンは自宅でiPhoneとパソコンを使って、ヤスに撮影してもらった動画を編集している。
編集といってもテロップを入れたりするわけでもなく、動画の過不足を調整するぐらいで必要ない部分はiMovieで編集した。
思い切って、YouTubeにアップロードしてみた。
確か動画の再生回数が伸びやすい曜日と時間は、土日または祝日の夜7時~9時ぐらいの間だったはずだ。
ちょうど今はゴールデンウィークで、時間も夜の7時過ぎ。
日中のほど良い疲れもあり、ケンはわりと早めに布団に入った。
ケン自身もYouTubeをラジオ代わりにして夜は寝ていて、成功者のセミナーや講演会を聞いて眠気を誘うようにしている。
やがて眠りに落ちた。
あくる日の夕方、なかなかチャンネル登録者が増えないことを密かにケンは悩んでいた。
ケン自身も気が付かないうちにYouTubeの罠のようなものに囚われていく。
それはチャンネル登録者数や動画再生回数と自分自身の価値を結び付けてしまうことだ。
これだけ音楽、特にピアノを頑張ってきてチャンネル登録者が50人もいかないなんて精神的に苦しいな。
地元にあるベローチェでブレンドコーヒーを飲みながら、1人悩んでいた。
iPhoneでYouTubeを開いて、自分のアップした動画を観てみる。
やっぱりチャンネル登録者数も動画再生回数も伸びてない。
気持ちが沈み、iPhoneをズボンのポケットに入れようとしたところ、通知が着た。
都庁でオリジナル作品を弾いた動画のコメント欄を見ると、友人の1人である森さんがコメントを残してくれている。
「涙が止まりませんでした。ありがとう。心が洗われました。味がある調べで、困った時に癒されています。ありがとう。」という文章が書きこまれていた。
ケンは少しの間、体が動かせず固まっていた。
感動というのだろうか。泣いてはいないが、心と体は痺れている。
自分以外の誰かのために何かをすることで、道が開けることがあるのかもしれない。
今までは自分のためだけに音楽をやってきたが、考え方が間違っていたのかもしれない。
体中に電気が走っているような感覚がまだ続いている。
都庁で動画を撮影してくれた友だちのヤスのためにも、こうやってコメントを残してくれた森さんのためにも、もうしばらく音楽を続けてみよう。
どこまで行けるかはわからないけれど。
どこまでやれるかもわからないけれど。
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