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渡米 New Orleansでの暮らしの始まり

2015年、私が37歳の時にNew Orleansへと渡りました。
英語もままならず、まだまだ勉強中の身。
不安もありましたが、周りの支えがある中、少しずつ生活に慣れていきました。

しかし、なかなか友人、仲間というものはできないもの。
とにかく、まず何か音楽活動をしたいと思い、open micやsessionをしている場所を探します。家族がNeutral Groundが私に合っていると教えてくれて、晴れて一人で飛び込みました。はじめは演奏せず、まず下見に行ったと思います。

沢山のレギュラー(常連客)がいて、老若男女混じってアットホームに過ごしている場所でした。MCをするホストは週替わりが多く、若い子達がメインでした。

後には大好きな友人となったMaddiが、その時のホスト。
洗練された綺麗な女性で、この英語も拙い、あたふたな私はどう見られるかな、、などと思いながらも、open micの受付時間などを尋ねました。
とてもサバサバしていた彼女だけど、その後にはシャイでとても面白い人だという事がわかったり。

そうして、次の週、初めてopen micでの演奏に挑みます。
正直、どの記憶が初回だったのか自信がない私。。
しかし確かな記憶は、フロリダから訪れいたGloriaという女性と知り合ったこと。
彼女はダルシマーという楽器をされていて、長年の友人であるWalterと再会、共演されていました。そしてこのWalterも、後に大変お世話になる方の1人となります。

Gloriaが彼に紹介をしてくれて、少しお話をしました。
彼女自身とも、その後Skypeをして英語レッスンさせて頂いたり。
しかし私があまりにも話せず、会話が止まるので短時間のビデオ通話でしたが。。

自分の演奏自体は、あまりよく覚えていない、、。
勿論ド緊張の中にあったと思います。他にアジア系の人がいない中、演奏する前には少し茶化すような「ミャオ〜」という声を上げる人もいました。
でもそんな事どうでも良いのです。
演奏後には、大きな拍手と変わっていました。

あちらの方も、ある程度のクオリティのものを披露すれば、きちんとリスペクトしてくれる。open micの回を増すごとに、そのことは実感していきました。
Mikikoという何処の馬の骨ともわからぬ日本人が、演奏という名刺を介して、皆に受け入れられていったのだと感じています。

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