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今日も「だいじょうぶ。」と声がする

久保さん、皆さん、こんにちは。
南波です。

世の中は三連休ですね。奈良は、昨日は一日どんよりしていましたが、今日は、からっと晴れています。

報道ですでにご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、9月12日に、劇作家・演出家・作家の宮沢章夫さんが亡くなられました。

私は1999年に藤沢演劇プロジェクトの『千年の夏』という作品で初めて宮沢さんにお世話になり、以降、宮沢さんが主宰する「遊園地再生事業団」のいくつかの作品や、「かながわ戯曲賞リーディング公演」などに出演させていただき、宮沢さんの演出を受けることができました。
久保さんとは『トーキョー・ボディ』という作品で共演しましたね。いっぱい、楽しい掛け合いしましたね。

宮沢さんの作品は、ひとつのタイトルでも、本公演の前にリーディング公演や実験的なプレ公演などがあって関わる期間が長く、役者は台本に書いてあることをそのまま演ずるだけでなくどのようなシーンを作るかアイデアを出すところからやることも多く、大変なエネルギーと緊張感が充満している稽古場でしたが、でもいつも宮沢さんはひとりひとりの演技を尊重して、その人がどうすれば生き生きとよく見えるのかということを考えて演出してくださり、そしていつも、たくさんみんなを笑わせてくださいました。そんなにサービスしなくても、と思うくらい、楽しい空気を作ってくださった。

私はずっと「南波さん」と「さん」づけで呼ばれ、私と宮沢さんとは少し距離がありましたが、演技に関しては、とても信頼してくださっているなと勝手に感じていました。上手いとか下手とかの技術の話ではなく、「私のやり方」でやらせてくださった。なのでとても安心して舞台に飛び出していき、詩人になり、シジンになり、ポリュネイケスになり、時にバーのママになりスズメになり自販機から飛び出す缶コーヒーにもなることができました。嘘をつかないようにだけいつも気をつけていました。宮沢さんが信頼してくださっているのはそこだと思っていたから。
本番前でどうしようもなく私が固くなっている時には「だいじょうぶ。だいじょうぶだから。」と声をかけてくださいました。稽古場でも、たびたび「喜びの記憶は人を躍動させる。悲しみの記憶は人を強くする。」と言って、役者のみんなを励ましてくださいました。

お別れをしに行った時、宮沢さんが教えていらした早稲田の学生さんと少しお話をする機会があったのですが、「どんなオタクも受け入れてくださいました」とおっしゃっていて、それは本当にそうなのだろうなあ、稽古場でそうであったように、一人一人の学生さんを大切に、愛情深くお仕事されていたんだろうなと思いました。つい最近まで宮沢さんと一緒にいたゼミの皆さんのショックはとても大きいだろうなと思います。

宮沢さんのおかげで繋がったご縁は数知れず。
ひととき集まって、公演が終わったらぱっと別れる、というやり方ではありませんでしたから、関わった共演者やスタッフの皆さんのことは今でも、ずっと会えていなくても、とても大切に思っています。
そしてもともと宮沢さんのファンで、私とも繋がってくださった方もいらして、本当にありがたいことだと思っています。
夫とも、宮沢さんの作品で共演して出会いました。息子に「宮沢さんがいなかったら、あなたはここにいないのよ」と言ったら神妙な顔をしていました。

宮沢さんが亡くなっても、ありがとうの気持ちが大きすぎて、不思議なことに、幸せに包まれている感じなのです。
そこに、時折、びゅうっと吹く風のように、悲しい気持ちがやってきます。
しばらく会えないのは寂しいけれど、ご病気も長かったので、今は安らかにとお祈りしています。

私もあちら側へ行ったら、また遊園地のオーディンションを受けに行こう。

皆さんすてきな週末をお過ごしください。

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