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ありがとう2022

久保さん、皆さん、こんにちは。
南波です。

まもなく2022年が終わりますね。
木の葉はすっかり散って、窓の外は寂しい灰色になってしまいましたが、その灰色をバックに、夏にはいなかったさまざまな鳥が飛び交うのを見かけるようになりました。コゲラやモズ、エナガ、シジュウカラ。
ヒヨドリは、ルーバー式の窓ガラスの隙間に溜まった結露の水を毎朝飲みにきます。水を入れたお皿も置いてあるのですが、そちらからは飲みません。細い隙間にくちばしを差し込んで飲む方が美味しいのかもしれませんね。

こんな、年の瀬のお忙しい時に読んでくださる皆さん、どうもありがとうございます。

久保さん、お母様はだいぶ元気になられましたか。お父様のお疲れはとれましたでしょうか。
お正月に向けてののし餅づくりはもう終わられましたか。
いろいろ変化があっても、できるだけ、「いつもの風景」が長く続いて欲しいですね。

私の母はまだ入院中なのですけど、周りの方々に助けていただきながら、日々リハビリに励んでいるようです。
面会ができないので、父から話を聞いたり、弟がLINEで送ってくれた動画を見たりしていますが、病院の先生やスタッフの皆さんが母のために最善を尽くしてくださっているのがよくわかり、とてもとても感謝しています。
前回の記事に、「みんなに共通している広くて大きな流れが、もっとも良い形で動いていく」と書きましたけれど、本当にそうなったと信じられる今があり、よかったなと思います。

2022年、皆さんにとってはどのような一年でしたでしょうか。

私は、いろんなことがそれなりにありましたし、眠れない日もありましたけど、でも心の中はいつも平和だったなと振り返ってみて思います。
周りの方に恵まれたから、というのはもちろんなのですけど、物事に対する自分の受け取り方が変わってきたせいもあるのだと思います。
過去のことも未来のことも、あまり考え過ぎないようにして、瞬間瞬間、自分がしたいことをするようにしていたら、ずいぶんと気楽に生きられるようになりました。

忘れることがとっても上手になった。
上手になりすぎて、この間は自分の家の電話番号が口から出てこなくなりました(息子に「やば!」と言われた)。
でもそれくらいがいいのだと思います。「今」にいられるので。

ピアノにもたくさん助けてもらいました。いっぱい弾きました、ピアノ。
仕事で疲れたあとも、5分10分の基礎練だけでもリラックスして弾いていると、体が楽になるんです。音の響きがじーんと体に沁み込んでいくのですね。
同じ曲をずっと弾き続けていて、そして数ヶ月に1回くらい、新しい曲にも取り組んでいます。今練習しているのは全部で6曲。練習するたびに発見があって、そしてだんだん上達していくのが自分でもわかり、嬉しいです。

夏に、ピアニストの方のレッスンを受けたことはとても自分の中で大きく響いています。どんなことも、「できる/できない」じゃなく、ましてや「上手にできる/できない」じゃなく、ただ「やりたいからやる」でいいんだと、本気で思えるようになりました。
素晴らしくなくてもピアノ弾いていいし、素晴らしくなくても絵描いていい。
大人になると、「これをやってどうなる」とか「こんなことしてる場合じゃない」とついつい思ってしまいますけど、そんなことを言った時点で人生は終わってしまうのだなと気がついて、「やらなきゃいけないこと」がいっぱいあっても「やりたいこと」を遠慮せずにねじ込んでいこうと思えるようになりました。

大切な方の訃報もありましたが、いただいたものの大きさを思うと満たされた気持ちになり、やはり心の中はとても穏やかでした。感謝しかありません。
亡くなった宮沢章夫さんのことを、折りに触れ思い出し、夫と話しています。
今日も『トーキョー・ボディ』のことを話していました。「詩人」と「資本主義」がダンスする、というシーンについて。わけがわからないまま演じていたけれど、今になって、あの場面のことが客観的にわかるかもしれない、と。

今年一年、出会ってくださった皆さんありがとうございます。
このような、書く機会をまた与えてくださった久保さんもありがとう。素晴らしくなくても書いていい、と自分を励まして、これからも楽しく書いていきます。

平和な日々が送れたことに、安全な場所にいられることに、本当に感謝しています。

こちらはクリスマスに焼いたマフィン。22年ぶりにオーブンを買い替えたら、庫内が思いのほか広くて、今までの倍焼けるようになった。やった!

2023年も、私にとって、皆さんにとって、良い年になりますように。
あたたかい年末年始をお過ごしください。

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