架空世界創作論

初めに、このようなタイトルを付けておきながら、私が創作においても学問においても(ついでにこのような文章を書くことにおいても)全くの素人であることをご容赦願いたい。

この記事は、架空世界や架空言語の創作においての私の考えである。言うまでもないが、創作とはかくあるべきという主張ではない。

早速本題だが、おそらく架空世界やそれに伴う架空言語においてたびたび問題になっているであろう「リアルさ」。

しかし、根本的に「リアルさ」というものを客観的に定義することはできないし、測ることもできない。あくまでも主観的な指標でしか無い。

かといって、「リアルさ」を追求しようとしたときに提唱した概念まで主観的であるというわけではない。測れるかどうかはともかくとして、客観的にどういうものなのかを示すことはできるだろう。

その一例がセレン氏による「ア・プリオリであること」だ。これは当時こそ持て囃されたものの、「完全にア・プリオリな言語など作れない」「そもそも創作論を他人に押し付けてはいけない」などの批判により、大分衰退した。

ここで誤解してはいけないのが、「『リアルさ』を追求するための客観的指標など意味がないから、作りたいように作るしか無い」というわけではないということだ。

確かに「リアルさ」というのは主観的で、それ自体の議論はさほど意味のないものだと思うが、客観的指標は違う。客観的指標を定めることで、その創作における「リアルさ」の方向が決定する。

よって、客観的指標が創作によって様々であるのは当然だし、客観的指標を定めない創作も認められるが、「客観的指標を定めることによって、具体的な『リアルさ』が伝わりやすくなり、『リアルさ』を保ちやすくなる」ということが、少なくとも言えると思う。

結局リアルな架空世界の創作論について全体的な結論を求めるとしたら、このくらい抽象的なものになってしまうのではないだろうか。

本当は私の考える客観的指標をいくつか示そうと思ったが、あまりこの主張の本題とは関係がないし、話がミクロになりすぎてしまうので、それはまた別に書くことにした。

以上、私が結論づける創作論はこんなところである。

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