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『万年前座 僕と師匠・談志の16年』を読んで
欲しかった本を手に入れた時のうれしさと比較できるものは、そうはありません。
『万年前座 僕と師匠・談志の16年』 立川キウイ著
「桃栗3年 柿8年 キウイは前座を16年」と書かれた帯は、
あの立川流に、落語史上最強の落ちこぼれがいた
「放っとけ~別に死にゃしない」
立川談志
と続く。
この本は絶版になっており、新品で入手は不可能。ネットで中古品を探してみると、『談志のはなし』が好調ということもあって発売時定価1400円の本が中古品で4500~5000円くらいの値段。
どうしても欲しいので注文、しばらく後で「在庫切れのお詫びメール」が届くオチ😢
半ばあきらめかけたころ、3度目にしてかなりよい状態のものを1200円ほどで購入👍
とっても嬉しい!
『談志のはなし』を読んで、著者立川キウイ師匠のことを知りたくなり、YouTubeやTwitterを拝見してわかっこと。
・かなりの映画好き
・かなりの音楽好き
・かなりの激辛好き
・かなりの料理上手(ご両親の食事を作っている)
さらに知りたくなってきたこと。
キウイ師匠はどんな子供時代をすごしたのだろう?
落語家になろうと決意したきっかけは何だろう?
どうして立川談志家元に弟子入りしたんだろう?
どうして『立川キウイ』という名前なんだろう?
どうして16年半もの前座修行を辛抱できたんだろう?
『談志のはなし』に書かれていない立川談志家元や兄弟子のエピソードも知りたい。
知りたいことのほとんどが『万年前座』に書いてありました😄
『万年前座』はマクラ『談志伝』から始まる。
これがいきなり面白い!
マクラを読めただけでも価値あり。
キウイ師匠の「16年半の前座生活、ネタには事欠かない」という言葉は伊達じゃありません。
新潮社さん、『談志伝』を是非とも出版してください!
立川キウイ師匠、ビートたけしさんがきっかけで立川談志家元に傾倒、落語にのめり込むようになったとは意外でした!
「僕は破門PTSD」とご自身が言われているように、キウイ師匠は三度破門になっても立川流に戻ることができ、真打になった。
やはりキウイ師匠は落語家になる運命だったんですね。
『万年前座』もまた『談志のはなし』のように深みのある言葉や、いろいろなエピソードが溢れています。
談志家元の厳しさと愛情、周囲の人々の優しさを感じた言葉を一部紹介します。
「素直に書いてあるな。純文学みたいだ」
入門の際、事務所の社長に言われて思いのたけを書いた手紙を、真剣な目つきで読んだ談志家元の言葉。超読書家の家元に「純文学みたいだ」と言われるなんて凄い。
この時点でキウイ師匠がいつか本を出すことを予見してたのかも…。
「そばに寄っただけで、切れそうな感じがする」
立川左談次師匠が、前座時代に抱いた談志家元の印象。キウイ師匠も同感だったそう。立川談志家元の厳しさが伝わります。
「稽古をつけてやる。上がってこい」
「キウイというのは、いい名前だと思うがな」
談志家元の言葉。
「あたしはね、果物を産んで育てた覚えはないわよ!」
「高座名が立川キウイに決まった」と聞いたキウイ師匠のお母様の言葉。
「キウイさん。談志師匠はね、とってもハートのある人だからね」
談志家元行きつけのバー『美弥』のママの言葉。キウイ師匠は入門後、『美弥』でアルバイトしていた。
「キウイ、知っているか?電話の呼び出し音はね、実は鳴る時間よりも鳴らない時間の方が長い。間っていうのはそういうものなんだよ」
キウイ師匠が勉強のために付き人をした古舘伊知郎さんの言葉。たとえがわかりやすくて意味が深い。
「いいかキウイ。噺家はな、頑張ってやるもんじゃない。高座より打ち上げ。打ち上げで旨い酒を飲むために落語はやるもんだ」
立川藤四楼師匠こと、高田文夫さんの言葉。
『肩の力を抜け、余裕を持て』という意味ですね。
「キウイさん。落語家ってね、自分だけの何かで、自分だけのポジションを築くことが大事なんだよ。談志師匠なんて特にそうじゃない?」
新作落語の稽古をつけてくれた春風亭昇太師匠の言葉。落語家に限らず、どんな職業にもあてはまるのではないでしょうか。
「キウイ、蝶ネクタイが似合う男になるんじゃないよ。羽織が似合う男になりなさい」
「芸は人なりといってね、その芸人の人柄を、お客さんは聴くの」
「稽古しなさい。いつでも稽古してなさい」
『美弥』がご縁でキウイ師匠に噺を教えてくれた橘家圓蔵師匠の言葉。
「本当に、本当に…本当によかったよ。ずっと見てたけど、よく辛抱したね」
談志家元を撮り続けているカメラマン、ムトー清次さんが、二つ目に昇進したキウイ師匠にかけた言葉。
226ページに書かれたこの場面は、さすがに涙腺が弛みました。
『万年前座』はエピソードの宝庫。
最も心に沁みたエピソードを紹介します。
『美弥』に五代目柳家小さん大師匠が来店した話。
小さん大師匠の娘でもあるマネージャーが先に入店し、″談志家元がいないこと″ を確認してからご本人が来店。
目的は少し遅めのお盆の挨拶。
義理堅い小さん大師匠。
お酒ではなくお茶を頼み、バーテンダーをしていたキウイ師匠に
「談志をよこせ」
と穏やかに言って、お店に置いてある談志家元にそっくりのぬいぐるみを手元に、嬉しそうにそしてニンマリしながら、ゆっくりと眺めたというエピソード。
かつては師弟関係にあったお二人。
落語協会を脱出し、立川流を創設した弟子。その弟子を破門にした師匠。
ただそれだけの間柄ではない、お二人にしかわからない深い絆があるような気がしてなりません。
キウイ師匠も「ちょっとだけ泣きそうになりました」と書いています。
談志家元と三代目古今亭志ん朝師匠、義甥の中尾彬さんが美弥で会談したエピソードもまた凄い。
小さん大師匠の使いで、志ん朝師匠自らが談志家元に会い来た。
「帰ってこい」というメッセージを伝えに。
「兄さん、目白(小さん)もね、最近じゃ、すっかり風邪を引きやすくなったって言うんだよ」
「俺は(協会に)戻る気はない。俺が戻れば困る奴もいるだろう。寄席に出ていた方がいいだろうというのはいる。文字助、里う馬、左談次、談四楼、ぜん馬、龍志、談幸…」
「小さんに談志、戻って来てくれと頭を下げられたら…それが一番、困るな。それをされたら戻らざるを得ない。それで戻らなかったら、俺はエライ目にあう」
このやり取りの後、談志家元は志ん朝師匠に
「お前、志ん生になんなよ」
と言い、志ん生襲名披露興行で談志家元がお披露目の口上を言う約束をしますが、思い叶わぬまま2年後に志ん朝師匠は亡くなってしまいます。
その場にいたキウイ師匠にしか書けない話ですね。
16年半の前座生活、3度の破門。
立川流は年功序列ではなく、実力制度。
キウイ師匠は三人の弟弟子に抜かれています。抜かれるたびに、どこか寂しそうな中年サラリーマンのファンが増えていったそうです。
後輩に抜かれるのは気分よくないですよね。自分も経験があるのでよくわかります。
でもキウイ師匠は、年功序列や実力制度で先に昇進した方々よりも長く、談志家元のそばにいられたわけです。
そんな″落語家立川キウイ″の強みが、
『万年前座』『談志のはなし』誕生につながっています。
『万年前座』読んでよかった。
読んでよかったと思える本と出会えたのは、人生の財産がひとつ増えたようなもの。
「放っとけ~別に死にゃしない」
に続く言葉が『万年前座』の大トリ『師匠の言葉』にありました。
事によると、何だか妙なモンスターが出るやもしれない。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ピアニカたろう
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