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一球の記憶

プロ野球の本を読みながら、久しぶりに鳥肌が立った。

『一球の記憶』宇都宮ミゲル著

宇都宮ミゲルさんの本を初めて読んだが、宇都宮さんは相当な昭和プロ野球ファンとお察しした。
いや、ただのファンではなく、大ファン、昭和プロ野球マニアの域かもしれない。

『一球の記憶』とは、

全37章、37人の元プロ野球選手が『記憶の中に残り続ける一球』を語る本だ。
僕の知りうる限り、記憶に残る『試合』について語った本はあったが『一球』を語る本はなかったのではないか。

目次を眺める。

37人の名前と、語った言葉の一部が列挙されている。37人のセレクトがまた、昭和プロ野球を観てきたファンからすればツボをついたセレクトなのだ。

『す、素晴らしい!』とひとり唸る。


早く読みたい感情と、もったいないからちょっとずつ読もうかなという感情が交差する。

チャプター1 若松勉さんから、37の物語が始まる。

僕は気づいた。

若松さんのように現役時代の背番号とチャプター番号が一致する人が何人かいるのだ。

プロ野球は数字の世界。成績は数字で示され、選手は数字を追い求める。
選手の代名詞ともいえる背番号とチャプター番号を合わせる。
宇都宮さんのプロ野球とプロ野球選手に対する敬意と配慮を感じた。

宇都宮さんの取材を受けた元プロ野球選手たちが、『一球』に纏わる当時の試合展開や心情をまるで最近の出来事のように鮮明に語っている。
理路整然と語る人、淡々と語る人、熱く語る人、一流のプロ野球選手は記憶力も一流だと聞いたことがあるが、その通りだと思った。

『記憶の中に残り続ける一球』は単なる思い出話だけではない。
その一球の意味と今も向き合い続け、終わらない物語としての一面もある。

現役時代を知っている人の『一球』は、『あの試合のあの場面の一球』ではないかと予想しながら読み進めた。

これがもう、たまらなく楽しい😃

鳥肌が立ったのは、チャプター12 石毛宏典さんの最も記憶に残る『一球』だ。

石毛さんの最も記憶に残る『一球』と言えば、

1988年日本シリーズ西武vs中日第5戦。
中日1点リードで迎えた9回ウラ、5番打者石毛さんが右中間に打った劇的な同点ホームラン

に違いないと予想した。

石毛さんの同点ホームランのおかげで延長にもつれこみ、11回ウラに西武はサヨナラ勝ち。3年連続日本一を達成したからだ。

石毛さんはシリーズMVPを獲得している。

ところが石毛さんが選んだ『一球』は違った。

同点ホームランを打った一球ではなく、11回ウラノーアウト1塁で回ってきた打席で、ベンチのサインどおり送りバントを決めた『一球』なのだ。

このシリーズ絶好調、前の打席で同点ホームランを打った石毛さんにさえもバントのサインを出すベンチ。
これが当時の西武の野球であり、西武の強さだった。

当時10代の僕はパ•リーグが好きで、ロッテと南海が大好きだった。
ロッテには村田兆治さん、南海には門田博光さんがいた。チームという枠を超越した個性的な選手たちが醸し出す『オレは野球の技術でメシ食ってんだよ』という雰囲気が大好きだった。

相反して、セオリーやデータを重視するチームで管理された選手がチームプレーに徹する西武は、確かに強いがどこか面白さに欠けて見え、好きになれなかった。

1988年といえば10月19日の年である。
管理野球の西武を猛牛近鉄が猛追、10月19日川崎球場ロッテ対近鉄ダブルヘッダー、近鉄が連勝すれば逆転優勝できた年だ。
テレビ朝日ニュースステーションが内容を変更してまで放送したパ•リーグの試合だ。
この試合だけは近鉄を応援したが、近鉄は2試合目を引き分け、西武が優勝。

そして1988年の中日ドラゴンズ。
燃える男 星野仙一監督2年目のシーズン。
ゲーリー、落合、宇野のクリーンアップ。
投手陣はエース小松、西武から移籍1年目で最多勝の小野、37セーブで最優秀救援投手とリーグMVPの郭源治がいた。
闘将の号令一下、「燃えよドラゴンズ」のごとく熱い闘いを繰り広げる選手たちはカッコよかった。セ・リーグでは好きなチームだった。

西武は近鉄にも中日にも負けなかった。
近鉄も中日も西武には勝てなかったのだ。

近鉄の仰木監督や中日の星野監督なら、日本シリーズ絶好調の5番打者にバントのサインを出しただろうか?
「石毛よ思い切り行け、日本一を決めてこい」と送り出したのではないだろうか。

石毛さんは『一球』についてこう話している。

「この勝利につながったバントは誰も覚えていないと思いますけど、僕にとっては忘れられない一球なんです」
「だけどこれが西武の野球なんですよね。脇役の僕にとっても当たり前の話。だからなんの疑問もなく、しゃらっとバントを決めた(笑)。第一打席では二塁打で長打力を見せられたし、第四打席で同点ホームランも打てた。それで最後は日本一につながるバントでしょ。誰にも分からないかもしれないけど、この一試合が僕の集大成のようなものですよ。それまで重要な場面で打ったことは何度もありましたけど、あの試合で感じた達成感は僕にとって最高の記憶です」

石毛さんは自身を脇役だと言っている。

1988年当時の僕が石毛さんの言葉を読んでも何も感じることなく「ふ〜ん、そうなのか」で終わっていただろう。

プロ野球選手は年俸に直結する自分の成績や記録のためにプレーして「魅せる」べきで、それが個性であり、チームプレーに徹する選手よりも自分のプレーにこだわる選手に魅力を感じていたからだ。

あれから35年が過ぎた。

石毛さんの言葉から脇役としてのプライドを感じる。

プロ野球選手としての自分の感情を抑えてチームプレーに徹し、結果を出すのは簡単なことではないはずだ。

誰もが「日本一につながるバント」をしゃらっと決められるわけではないのだ。

「誰にも分からないかもしれないけど、この一試合が集大成であり、感じた達成感は最高の記録」

という石毛さんの考え方と言葉に共感し、鳥肌が立ったのだ。

1986年から1994年まで森祇晶監督が率いた西武は1989年を除いて優勝している。
もし1989年に西武が優勝できていたら、森監督が現役時代を過ごした巨人と同じ9連覇を達成したことになる。

1989年のパ•リーグを制し、結果として西武9連覇を阻んだのは前年10月19日に涙した近鉄だった。
中日から金銭トレードで移籍し2年目のラルフ•ブライアントが1989年10月12日西武球場でのダブルヘッダーで4打席連続ホームランをかっ飛ばし、連勝した近鉄に優勝マジックが点灯した。

個性派集団近鉄がついに常勝西武を倒した。
その立役者は元中日のブライアントだ。
筋書きのないドラマ、いや運命だなこれは。
近鉄が優勝して悲願の日本一を達成するかも!

プロ野球ニュースでブライアントの4連発を見ながらそう思ったことをはっきりと覚えている。

近鉄ファンだった宇都宮ミゲルさんは大学の授業をサボり、西武球場でブライアントの4連発を観たという(なんと羨ましい!)。
その時の記憶がこの本の土台に鎮座すると、あとがきに書かれていた。

なるほど!

この本の誕生には、昭和から平成にかけた近鉄2年越しの涙と歓喜の物語が関係していたのだ。

いい本にめぐり逢えた。

今回は最も鳥肌が立った一球の物語について書いてみた。

『一球の記憶』を語る元プロ野球選手の言葉や巻末の特別付録も素晴らしいので、次回はそれについて感じたことを書きたいと思う。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ピアニカたろう






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