見出し画像

拝啓 桂文字助様

初めてお便りを書きます。突然の無礼をお許しください。
それと、文字助師匠とお呼びすることもお許しください。

ちょうど1年ほど前、弟弟子の立川キウイ師匠が『談志のはなし』という本を出されました。
立川談志家元のファンになって間もない僕は、16年も前座を務め、3度の破門を乗り越えて立川流真打ちに昇進したキウイ師匠から見た家元の姿が知りたくて購入しました。

『談志のはなし』の中に、文字助師匠がキウイ師匠にシミジミ話した言葉がありました。

「どうにもならない時ってある。そんな時はヘタに動くな。ジッと辛抱してろ。いつか何かチャンスがきたらパッと飛びつけ。辛い上に辛いことがおきて、もう沢山だって思っててもまだ辛いことがあったりする。でも辛抱だぞ。最後まで辛抱できたら勝ったも同じだ」

この言葉は僕の心に突き刺さりました。
こんな言葉をシミジミ話す文字助師匠ってどんな人なんだろう。
文字助師匠のことも知りたくなりました。
悲しいことに、文字助師匠は亡くなっていました。

それから1年ほど過ぎて、文字助師匠の弟弟子でキウイ師匠の兄弟子にあたる立川談四楼師匠が文字助師匠の本を出されたと知り、迷わず購入したのです。

タイトルは『文字助のはなし』。とてもいい本でした。
読み終えたいま、その思いを文字助師匠に伝えたいと思い立って手紙を書きました。拙い文章ですが全部本音です。少し長いけど読んでやってください。

文字助師匠は目端が利いて頭の回転が早く、行動力も備えた人だったんですね。

前座・三升家勝松として2年という短期間ながら『金曜寄席』『笑点』の座布団運びで名を売り、正式に談志家元に弟子入りし立川談平となる。『8時だヨ!全員集合』と『ぴったしカンカン』の前説を務めた。昭和の大人気番組に前座で関わっていたとは凄い!
地元の知り合いを区議に押し上げた実績から文字助師匠が選対本部長の役割を全うし、築地場外『味のいし辰』の大将を中央区議会議員にトップ当選させ、後年、議長にまで押し上げたって話もまた凄い!
故あって公園の掃除を日課にし、近所の誰もがその日課を認めていた頃、「区議に立候補しませんか」という誘いを受け、誰にも拘束されない暮らしが一番いいと断った。この生き方にも惹かれました。

文字助師匠は滅茶苦茶な人だったんですね。

2013年頃、工事の騒音に対して一度苦情を申し入れたのに改善されず、「機械の電気コードを切れば騒音は止まる」と剪定鋏を持って脅しに行ったら通報されて逮捕。裁判沙汰になって「懲役1年執行猶予3年」の判決…。
酒にまつわる話も滅茶苦茶でした。
酒好きで豪快な文字助師匠につれ回される弟弟子。飲み屋でドスをちらつかせた輩を相手に割ったビール瓶で対抗して警察沙汰になり、談志家元が文字助師匠をもらい下げに行く羽目に。
弟弟子とタクシーに乗れば文字助親分と弟弟子子分のリアルすぎるヤクザごっこが始まり、怯えた運転手は料金を受け取らず、そのお金でまた飲みに行く…。
家元も弟弟子たちもタクシー運転手もたまったもんじゃありません。さすがにこれは笑えませんでした。

でも、ただ滅茶苦茶で酒癖が悪いだけの人なら、最も被害にあった弟弟子が『文字助のはなし』を書こうなんて思わないはずです。

文字助師匠は子供と動物好きな、心優しい人だったんですね。

アパート裏手の公園をきれいにしようと思い立って始めた掃除が日課になった文字助師匠。
公園のポリバケツを水で満たし、傍らに「小鳥さんが水を飲み、水浴びをするためのものです。汚さないでね」と書き、小鳥の水飲み場を作って1日3回水を取り替える。子供達はニコニコと小鳥を見守る。いつの間にか町内の人々からも認められ、酒やツマミやタバコを差し入れされるまでに。
公園で「寿限無知ってる?」と声をかけてきた小学3年生の女の子に『寿限無』を手解き。その子は校内放送で『寿限無』を披露し大反響、「五劫」の意味まで説明できる女の子に教師もびっくり、プリントして生徒に配り、それを見た親もびっくり。

そういえば、文字助師匠の落語『阿武松』をYouTubeで拝聴しました。
滑舌良く聞き取りやすい声、しかも、いい声!
絶妙なテンポと間で落語の世界に見事に引き込まれました。
落語ファン初心者の僕ですが、『上手いなあ』と感心しました。文字助師匠の落語をもっと聞きたかった…。
文字助師匠が稽古をつけた女の子の『寿限無』が大反響だったのもわかります。

文字助師匠のご家族についても書かれてました。
ご家族との別れ、身寄りをなくし生活保護を受けることになった文字助師匠。
ひょっとしたら僕の心に突き刺さった言葉は、このあたりのことが関係しているのかなと思いました。
家元も弟弟子たちも町内の人々も知らない、文字助師匠しか知らない心の奥深いところで、ただひたすら辛抱し続けていたことがあったのではないかと。

脳梗塞で倒れ半身麻痺、車椅子生活となり施設に収容された文字助師匠。
コロナ禍で面会も儘ならない中、談志家元と同じ病にかかり、同じ七十五歳で亡くなり、しばらく後にキウイ師匠がたまたま施設にかけた電話で死亡が判明。

目端が利いて頭の回転が早く、酒癖が悪くて滅茶苦茶で、子供と動物好きで心優しい文字助師匠は、間違いなく愛された人だったと思いました。

そう、『文字助のはなし』は文字助愛にあふれた作品でした。

本編ラスト30ページに渡る、談四楼師匠の独白。読んでいるこちらも胸が熱くなる言葉に込められたのは、文字助愛です。

談四楼師匠が最後に書いた『普通の桂文字助』を表すエピソードは口上。脳梗塞で倒れる前年に文字助師匠が区役所に赴いて述べた、課の担当が「そんなことを言ってきた人は初めてです」と感激し目を潤ませたという口上。

「生活保護費のお陰で今年も無事過ごせました。お返しに公園の掃除をしておりますが、町内の皆様に感謝され、酒肴とタバコに不自由しておりません。来年も宜しくお願いいたします」

不思議ですが、文字助師匠にお会いできたような感覚になりました。僕は涙を堪えることができませんでした。
『文字助のはなし』を読んで本当によかったです。

最後に、公園の掃除を続ける文字助師匠が不心得な利用者に放った正論を書きます。

『後片付けも教育だろう』
公園の砂場で園児が遊んだ後、保母に「きれいにして帰りなよ」と言ったら、「なぜそんなことをする必要があるんですか?」と言われ、返した言葉。公園で憩う人達から拍手があった。

『大きなことを言うやつに限って小さなことができねえ』
公園に来る子供が木々の名前を覚えることができるように、「木々に名札つけろ」と区議に言ったが、保守の区議は対応せず、別の区議は一発で対応したことに対する言葉。

『ボーイスカウトってな社会奉仕が目的じゃねえのか』
週一で公園にやってくるボーイスカウトが10人。公園を汚すのでリーダーの中年男に「掃除しろ」と言ったら、「ハア?」と返され放った言葉。中年男はぐうの音も出なかった。

桂文字助師匠、お見事でした!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

                         敬具

                    ピアニカたろう

桂文字助様



























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?