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水になりたい話

私は昔から母親にも「言い訳をするな」と教えられ育ちました。

社会人になってからも「言い訳をするな」と教えられてて育ちました。

そのように育てられたので、私は言い訳をしないように生活をしてきました。

間接的にでも自分に非があれば、自分の責任である。そう解釈して言い訳をせずに生きてきました。正直辛いな…と思う事は多々あります。完全に濡れ衣の場合は特に悔しいです。でもグッと堪えて受け取ることにしてました。

でも、ある日、私は「言い訳をしている人の方が得だ」と思うようになりました。言い訳?言い訳は悪いことなのか?悪いことではなく、その場の状況を説明しているだけで悪いことではない。また、言い訳をした方が自分の心がスッキリするのではないかと期待をしました。

ここ3年(?)くらいは言い訳をしてみたのですが、現実は思ったこととは違いました。

確かにスッキリする時もあります。言って良かったと思う時もありました。しかし、スッキリしない事の方が圧倒的に多かったように思います。スッキリした時の事は全く覚えていないのに、スッキリしなかったことは何年前でも昨日のことのように覚えています。

なぜスッキリしなかったのか?それは自分の思った返答が相手から得られなかったからです。そして、人に期待して、思い通りにならないと苛立つ「ちっぽけな自分」を見つけてしまった後悔です。

そんな自分が嫌になり、どこかに引きこもりたくなるわけです。

なので、やっぱり全力で我慢するか…

と思うようになりました。でも、どうしたらできるのでしょう。

多分10年くらいは我慢できるかもしれない。

でも無理やり我慢すればきっと強い反動が発生する。

無理やり続かない。だから何かのために我慢していると思えばいい。でも「人のため」だけでは続かないのは目に見えてる。自分のためじゃないと続かない…

うーん。

考える考える。

キラーンヾ(*´∀`*)ノキャッキャ

突然閃いたのが

「上善は水の如し、水は万物を利して争わず、衆人の憎むところを好む、故に道に近し」

という言葉です。

意味は「最上の善とは水のようなものだ、水はあらゆる物に恵みを与えながら、誰もが嫌がる低いところにいる、だから道(みち)に近い」

という意味です。

水は道に近い!道に近づけるなら頑張って水のように恵みを与えながらみんなの嫌がる低いところで生活ができるかも!なんでも我慢できるかも!

と思ったのです。

私は最近【道】に近づきたいと思っていました。そして【道】に近づけるように心がけてきました。なぜ【道】に近づきたいかと言いますと

【もっと診断が上手くなりたい】

からです。

道に近づけたら診断が上手くなるのか?と問われたら分かりませんが、私はなると思っています。

そもそも【道】ってなんなんだよ?という話ですが、これ非常に伝えづらいのです。簡単にまとめると「道とは天地が生まれて万物が活動した結果の奥底のもっと昔の脈脈と続く道」のことです。

わけわからないと思います。

例えば、私たちが食べたものがあります(これが結果)。でも食べたものは何処かの土地で、他の動植物の手を借りて育ちました。さらにその土地は地球にあり、宇宙で…と続くのが道です。

上記の例えは地球の話ですが、人間にも当てはまります。

そして私たちの診断は【道】をみるものです。中医学では診察することを診るではなく「望る(みる)」と書き表します。

その時の症状を診る、のではなく過去から現在までのその人の成り立ちを望むのです。

だから診断は道に近くないといけないのです。

これが非常に難しい。道をみる時は欲を消さないといけない、と老子は言います。治したい、その人のためになりたいという欲も同じです。売り上げを上げたいとかは最悪の欲です。

そんな欲をなくして純粋に身体を望ることが常にできるような人間になりたいので、道に近づきたいのです。

手始めに【水】に近づくように万物を利して争わず、衆人の憎むところにいたいと思います。

心に何かあってもダッシュでごめんなさい。
自分だけなんで…と思っても我慢する。
そう志していきたいと思います。

あっでも、この話、誰にでもおススメではないですよ!辛い時は辛いでいいです。間違ってる時は間違っているといって良いと思います(/・ω・)/


そうでもしないと和牛券とか配られてきますからね(笑)

~おしまい~

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