新しい技術を叩くのは人の性の話

人類が文明を築いたのは7000年前~3500年前くらいと考えられています。文明が発達して、社会システムが変化するにつれて革新的な技術をもとにして様々なシステムが利用されてきました。しかし、そのシステムは必ず反感を買います。

例えば、iPhoneには画面のみでボタンがありませんね。あの形式の携帯電話はiPhone以前にもありましたが、日本では受け入れられませんでした。理由は「画面に指紋が付くから汚い」です。でもいつの間にかボタンはなくなり、画面のみになりました。

社会が工業化して田舎生活から都市の生活に変わる際には「人と人との共同関係が失われる」と言われました。現代では田舎の方が共同関係は失われているように感じます(僕は田舎が好きですがw)

ソクラテスは物事のを書き記すという当時の新しい習慣に「記憶力を弱くする」と嘆いてたそうです。

孫思邈は三部九候の脈も診ないと憂いでいました。現代では脈を診なくても漢方を処方する人は大勢います。

パッと思いついてこんな感じ。

調べたらもっとあるでしょう。

なぜ新しい技術に、反感や文句を言いたくなるのか?言う側は様々な経験があると思っているから言いたくなる。自分の方が知っていると過信しているから言いたくなるのだと思う。

そして、言われる側は言う側に対して「技術に対しての不信感、要は知らないだけ」と結論付けている気がします。

私は正直、言う側も言われる側も経験があります(;´・ω・)

要はお互いがお互いのことを【無知だ】と思ってるわけです。

とまぁ前置きが長くなりましたが、言いたいのはそんなことではない。お互いが無知だと思っていることについては、ちょっと気になってるが置いといて(/・ω・)/

言う側にも言われる側にも

思いやり、ありますか?

といことを問いたい。

先ほど、言う側の人が経験値が多いと過信しているとかいいましたが、実際経験値が多いのではと思います。そのような方が【思いやり】をもって言うのであれば、言われる側は多少反論したいその気持ちをグッと抑えてでも聞くべきですよ。

だって経験値が多い方がわざわざ時間を使って考えてくれたんですよ。それを無下にするのは如何なもんかと思います。

でも中には思いやりがない場合もあって、例えば嫉妬とか憎しみからの反感や文句です。これは、まぁ腹が立つので相手にしない方がいいと思います。自分に余裕があるときならば、その嫉妬などの根源を考えてもいいです。

今後も言う側言われる側になることがあると思うので【思いやり】を忘れないようにしたい。そうすれば自分が間違っていたとしても、間違っていたと素直に考えることができるような気がします。


おしまい

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