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サンエムカラーの制作過程



自己紹介
サンエムカラーの大畑政孝です。今回プリンティングディレクター(以下PD)として参加しました。普段は、UVプリンタを使ったアーティストの作品制作のPDや、文化財のアーカイブや複製制作の仕事をしています。また、印刷機などの色設計やカラーマネジメントの業務も行なっています。

仕様について
前回2019年のPrint House Sessionでは、印刷歴70年の経験を持つ弊社会長・松井がPDとして参加。超極小6ミクロンのFMスクリーン、無彩色のトリプルトーンといった印刷技法を使って、解像感やダイナミックレンジの限界に挑んだ印刷を行いました。造本設計も金ぶり和紙や和綴といった日本の伝統的な素材を用いて、経験の重みを感じさせる写真集に仕上げました。


今回のPrint House Sessionでは自分がPDとして参加することになり、前回と同じことをしても松井のコピーになるので、違う事をしたいと思いました。そこで、最近社内で新しく使っている技術を手に取れる設計にしました。「表紙をUVプリント」「本文をデジタル印刷機」「3パターンの仕様」という構想をデザイナーの岡崎真理子さんに提案しました。

表紙について
表紙は、UVプリンタを使った技法「カサネグラフィカ」で製作しています。カサネグラフィカは、プリントするメディアを問わずに、質感や凹凸をプリントすることが可能です。たとえば、油絵の複製は油絵具の盛り上がりを含めてプリントでき、デジタルアートは画像データに物理的な質感を加えたプリントが可能です。去年のToKyo Art Book Fairで制作したデザイナーGrapharsRockさんのアートブックでも表紙にカサネグラフィカの技法を使いました。

今回岡崎さんとの打ち合わせで、透明で質感ある表紙を制作する事になりました。透明の質感を再現する技術は、大型のアート作品を作る際に使います。UVプリンタの透明インクは、通常は一部分に光沢を与えるために使い、厚みを出して質感を作ることを想定していません(droptixのような技術も一部ありますが)。 そのため、通常のプリント方法で高さを出そうとしても、紫外線硬化のタイミングが遅くなり、狙った質感が形成されません。ガラスの透明感を保ったまま、形状や模様を維持するという調整に難航し、数多くのテストを行いました。

カサネグラフィカの技術の大半は、画像処理にあります。写真から網戸の凹凸だけを取り出してプリントした表紙は、個人的に今回の技術面でのハイライトでした。岡崎さんとの打ち合わせで、表紙の写真を選定する際に「網戸はできますか?」と言われ、二つ返事でできますと答えてしまい、帰りの新幹線で軽い返事をした自分に反省をした記憶があります。ただ、これまでアーティストのアイデアと技術者のキャッチボールでアート作品の制作を行ってきたので、同じように進めれば大丈夫だと思いました。
どのように網戸の凹凸だけを抽出したかは詳しく書けませんが、網戸をペンタブでなぞるという気合と根性で抽出したのではなく、フィルターワークの組み合わせでできています。アーティストの作品から質感を作る際は、必ずその画像由来の処理か、本人に了承を頂いたうえでランダムに生成を行い、他の要素が入らないように気を付けています。

本文のレタッチ方針
本文の写真の選定は、写真家の奥山由之さんからお預かりした700点を超える写真を岡崎さんがすべてカード状にプリントして、そこから選定が行われました。窓ガラスの向こう側にあるものがガラスによって変化して抽象化される。そのガラスの質感に着目して選定されました。

これは個人的な裏話になるのですが、岡崎さんと方針を決める前に、写真データと赤々舎版『WINDOWS 』を手に入れて、どのように色を作ろうかとラフな検討をしました。 写真作品の意図をくみ取ることを言い訳に、EXIFデータを一点一点見て、カメラの機種やレンズ、絞り、シャッタースピード、ISO、日付や時間などから、作家の撮影時の状況を想像するという密かな楽しみがあります。そこから、奥山さんの撮影時の佇まいというか、窓との距離感を想像して、そのスピード感を色に反映させた方が良いのではと思い、素のディスプレイに表示された時の色が合うのではと考えました。そこで、サブのディスプレイのキャリブレーションを破棄し、輝度の高い6500Kでの見え方を方向性にする事を思いつき、ラフレタッチを行いました。岡崎さんのガラスの質感や透明感にフォーカスした、硬くて高コントラストのイメージと、結果として合致したのでお伝えしませんでしたが、前段階で半分趣味でそういった事をしました。

テスト校正は、数パターンの色を刷り、そこから色の方向性を決めて全台校正を行いました。全台校正に岡崎さんの赤字が入り、本刷りへとブラッシュアップしていきました。岡崎さんから質感に振り切った思い切りの良い赤字が来た時、ものすごく嬉しい気持ちになった事が印象に残っています。デザイナーが仕上がりを想像しながら判断を行い、それに合わせて実現していくことにワクワクしました。本作はPrint House Sessionのために制作したという特殊な経緯もありますが、作家の作品をここまでレタッチする事はあまりなく、岡崎さんも普段の仕事ではしないとおっしゃってました。奥山さんに怒られたらどうしようと思いながらレタッチをしましたが、岡崎さんとの制作はなにか共犯感があるようにも思えて楽しかったです。


ジェットプレスのチューニングについて
本文は、サンエムカラーの真骨頂であるオフセット印刷ではなく、デジタル印刷機のジェットプレスを使っています。校正機ではなく、生産機としてジェットプレスを使う場合、オフセット印刷の色に合わせる必要はなく、機械のポテンシャルを最大限に生かした印刷設計が可能になります。これは今回に限らず、ジェットプレスの導入時にその発想をもとにして色設計を行いました。 また、サンエムカラーのオフセット印刷に対して、標準状態のジェットプレスは濃度感も色味も見劣りするので必要な作業でした。チューニングとICCプロファイルの設計によって、標準よりも広い色域、特に暗部の濃度感や色彩を豊かに調整し、また変換時に彩度が飽和しやすい色も調子を描き分けるようにしました。

色の領域比較図 点線:サンエムカラー設計、色立体:メーカー標準
右:サンエムカラー設計変換、左:メーカー標準変換


ひとくちにRGB印刷といっても、マスターデータがRGBというだけで、どこかでCMYKやデバイスのインク構成に分版されます。どうしたら色域が最大化するか、それでも必ず起こる彩度の飽和をどう描き分けるか、またサンエムカラーならではの刷り上がりになる味付けも盛り込んで、独自の設定を施したデジタル印刷機になっています。また、今回の本文紙「SA金藤」はそのチューニング設定のみでも良かったのですが、できることは全部やっておきたいので、作品とSA金藤に最適化したICCプロファイルと印刷方法の検証を先に行い、最善のカラーマネジメントのワークフローを用意しました。

まとめ
これから印刷がどうなっていくのか? これから写真集やアートブックがどうなっていくのか?というテーマは多くの人が考えていると思います。 ただ、紙に印刷する必然性や本というプロダクトでないと成立しない作品は、これからも作られていくでしょう。
今回Print House Sessionの試みによって、小ロットであってもハイクオリティな本を完成させることができました。そこから販路があれば出版のハードルが下がり、これまで予算やロットの多さが問題になっていた作品が世に出せるという期待感が高まりました。これにはまだワークフローやコストなどさまざまな問題がありますが、世に出るべきアートブックをハイクオリティに完成させる事は、印刷会社の使命でもあり、アートやカルチャーへの重要な貢献にもなります。 今回運営から指定された部数をあえて3種類に分けたのは、小ロットとハイクオリティの両立の実践でもありました。


余談
余談も余談ですが、今回のPrint House Sessionが4年ぶりに開催された経緯のひとつとして、roshi booksの斉藤さんとの縁がありました。20年以上前に写真や印刷と関係が無い音楽で知り合い、一時期イベントを一緒に開催していました。今年になって、音楽の斉藤さんとroshin bookの斉藤さんが同一人物だということに気付いて、やり取りをしたのが今回の発端です。こんな事もあるんだなという、人の縁の不思議さを感じました。前回の運営の大変さを経験した上で、再度開催した斉藤さん、flotsam books小林さん改めてありがとうございます。京都へお越しの際はぜひ一杯いきましょう。

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