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赤々舎の姫野さんからメッセージをいただきました

Print House Sessionで、奥山由之さんの写真集『windows』から新たにアートブックをつくる試みは、とても嬉しく、どんな姿が立ち現れるか、楽しみでなりません。(これを書いているのは7日、もう明日にはお目見えです!)

『windows』の撮影は、奥山さんがコロナ禍の東京の街を歩きながら、窓の表情に目を留めたことから始まりました。路面に面した窓の多くは、すりガラスや型板ガラスなどの不透明な窓ガラスで、屋内にあるさまざまな日用品が透けて見えます。窓枠に沿ってトリミングされた内部の空間は抽象的な模様となり、外部の影や映り込みも宿しながら、そこに暮らす誰かの存在を想起させます。それは一枚一枚の窓が、東京の人々の肖像画となる瞬間でした。

奥山さんは前作『flowers』において、花を媒介にした亡き祖母との対話をテーマとしました。
『windows』と共通して、人を写さずに、人を、人との対話を描き出すーーこれは奥山さんが探求している在り方で、写真表現の余白や関わり方の可能性を深く示唆してくれます。
そして、「どう撮りたいか」から「何を撮りたいか」へ移行してきた奥山さんの軌跡が、さらに、撮ることの先へと進んでいった『windows』は、作家として重要な転換点と思えます。約10万枚の写真を撮ることは、すでに単に撮るという行為を超えた集積となり、そこから何を選び、いかに構成するかを考え抜いた時間を経て、今の私たちを映し出す作品として提示されたのです。

写真集『windows』のページを繰ると、東京の街を歩いているように感じられます。写真の置かれた位置や、見開きの印象、この通りからあの路地へ、ひとつひとつの窓と眼差しを交わしていきます。
そして、これら724枚の写真から、Print House Sessionでそれぞれ独自の視点をもってアートブックが制作されることは、写真を見ること、読むことの尽きせぬ可能性を呼び覚ましてくれるようです。デザイナーや印刷所の方々の眼差しを通して、写真集と今回のアートブックとが対話するような、そんな歓びを覚えます。行き来しながら、窓というスクリーンに新たに浮かぶものを心待ちにしています。

姫野希美


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