カーブル - 古き良き時代の世界の町へ 第2回

ムガール帝国の創始者バーブルが愛した町、カーブル(アフガニスタンの首都)。周囲は岩山、町のなかにも山があり、カーブル川が貫流する。

町は新市街と旧市街にわかれている。旧市街への入口は、パシュトニスタン広場。人種のるつぼであるアフガニスタンで、最も有力なパシュトゥーン族が制覇した記念広場である。中央の大噴水の周囲に、パシュトゥーン族の象徴、「山を背景とした太陽」の図が描かれている。

広場を囲むように、外貨両替の銀行、郵便局、映画館、レストランなどがあり、旅行者にも便利。広場から南へ向かう。カーブル川のプリ・ヘシティ橋へ出る。旧市街の中心、チャハル・チャタ・バザールはここからはじまる。

色とりどりのターバンを巻いた男たちがひしめきあう市場をのぞくと、金銀細工、刺繍入りの衣類、毛糸手袋、香料、羊肉、薬品や日用雑貨品と、あらゆるものが並んでいる。雑踏のなかに客を呼びこむ店主の声、ロバの背に野菜を積んで売り歩く行商人や水売りの叫びが入り混じってすさまじい。

首都の城壁が語る波乱の歴史

バラ・ヒッサールにはこの国の歴史が刻み込まれている。5世紀に基礎が置かれた古い砦だが、18世紀にはこの古い砦を囲むように50メートルの高さの城壁がつくられた。

かつて歴代の王たちは戦いに敗れると、目をえぐりとられてこの城に監禁されたという。1878年、第2次アフガン戦争のとき、イギリス軍によって一部を破壊されたが、その偉容はいまも残っている。

バラ・ヒッサールの裏手には山の斜面を利用した広大な墓地がある。イギリスの探検家ですぐれた東洋学者オーレル・スタイン(1862〜1943年)も、ここに眠っている。

町の人々のオアシスは、パシュトニスタン広場から15分ほどのところにあるザルネガル公園だ。イスラム教では金曜日が休日である。休日には、近郊からも多くの人々がこの公園に集まってくる。イスラムの戒律によって、男性と女性がつれだって出歩くことのないこの国では、公園で散歩をしたり語らっているのは男性ばかり。一種異様な感じである。

公園にはアミール・アブドル・ラーマンの廟がある。ラーマン(1880〜1901年在位)は、この国の最も精力的な支配者だった人物で、この建物は、彼の死後、その私邸を改造したもの。廟の隣に立つモスクは、ラーマンの息子が父の安息を祈って建てた。公園の小さな森のわきには、ラーマンの一番若い妃の廟がひっそりとある。壁面は、鳥や木の葉を図案化した文様で飾られている。アフガニスタン建築のなかで19世紀に建造されたものの特徴だ。

新市街は、シャレ・ノウ公園をとりかこむ地区である。道路が碁盤目状なので、わかりやすい。

ザルゴナ・メイダン通り、パーク通りなどには、旧市街と違って、旅行者向けのシャレた店が並んでいる。骨董品、絨毯、皮革製品、アフガンコート、金銀宝石、民芸小物などのみやげ物店が多い。

公園のちかくにある“シャープル・モスク”は、ドームが鮮やかな青タイルで覆われ、“ブルー・モスク”とも呼ばれる。公園とこのモスクのあたりは緑が多く、旅行者のたまり場になっている。

(TEXT by 黒木純一郎)

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早稲田企画制作『シルクロード 旅をする本』(朝日新聞社、1979年刊)からの転載です。文章は適宜、加筆修正しています。記事中で紹介している写真は「フォトライブラリOLDDAYS」でフルサイズ版を購入できます。


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