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恋は盲目

「恋は盲目」

昔シェイクスピアが残した言葉だ。


シェイクスピアがここでいう盲目とは、恋をすると物事の分別や人間の理性を忘れ、他の物事や出来事が見えなくなってしまうという解釈だ。


よく似た日本語の諺に「逢いたいが情、見たいが病」というのがある。
恋をするとその相手に逢いたい、一目見たいという思いが強くなり、そればかりを考えてしまうという事だ。


つまり、「恋は(人を)盲目(にさせる)」というのがこの二つに当てはまる。

でも初めてこの言葉を聞いた時、これらとは違う解釈が浮かんだ。


恋は盲目というのは、恋そのものが盲目であるという事。


気づいたら好きになっている。
そんな事はないだろうか?
いつからか逢いたいだとか、今何してるんだろうと考え始める。
理由もわからぬまま好きになり、いつしかその人のことしか見えなくなっている。


「恋している」「恋をし始める」という事実そのものに気付かない事。


恋は盲目とは


「恋(の本質)が盲目(見えないもの)」であると僕は思う。

対義語に「愛は瞠目」という言葉があるらしい。


恋は盲目に対して愛は瞠目。


とっても深い。


言われてみればその通りで、

愛は自らの意思で与えようするし、貰えばそれに気づく。

そこで考えた。
恋の進化が愛だとしたら全てに納得がいくかもしれない。


恋はまだ未熟な花であってまだ芽を出していない。
一方、愛は大きく育ち咲いた一輪の花であるのだ。

「恋から愛へ」


先人達はこの過程を「恋愛」と呼んだのかもしれない。

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