アンデッド~!北海道~!
見てくれないとアンデッド~!どうも、神山です。
今週末の日曜日は月末読書会:切手本をZOOMでやります。その翌日ですが、ゲンロンカフェで北海道イベントが開かれます。おそらく、メンバーを見て課金ボタンが押ささったひともいるかと思います(僕です)。感想記事も書くでしょう。
登壇者のひとりである春木さんが、上記イベントに際して以下のようにコメントしています。
『東京大学物語』の水野遥、『ハチミツとクローバー』の原田理花、元乃木坂46の橋本奈々美。
ともに北海道出身の彼女たちはいずれも、白い肌にすらりとした肢体をもち、時折垣間見せる芯の強さも相俟って、見る者を惹きつけてやまない。
彼女たちをそのように見るときすでにわたしたちは、「北海道」を消費している。
[中略]
見落としたくないのは、北海道を前面に押し出していないコンテンツだ。
側面(プロフィール)において北海道を映すものにこそ、意識されざる、だからこそ強固な、北海道イメージが潜んでいるはずだ。冒頭に挙げた三人はその一端だ。
春木さんはゲンロンカフェ「東京裏返し」回の聞き手をした際に初めてお目にかかりました。ゲンロン批評再生塾第四期最優秀賞(つまり総代)ゲンロンβなどに寄稿しており、どちらも自分の認識の外にあった「北海道」の一面を知らしめられたというわけ。
さやわかさんについては、著書をほぼほぼ読んでいたり、シラスチャンネルの会員だったりするので、まぎれもなくファンのひとりなのですが。さやわかさんには(ほとんど忘れかけていたのですが)キューティーミューティー2巻発売イベントが札幌のNECCOで開催された際に会ってたりします。
僕は北海道生まれ北海道育ち、大学から就職先まで北海道と、この孤島から出ずに生きてきたわけですが、fromHの他のメンバーだったり、Latteさんだったりは今回の登壇者と同じく、内地にて生活を営んでいます。
北海道物産的(あるいは新千歳空港のショッピングゾーン的)なイメージがまとわりついており、「試される大地」「ミルクランド」「水曜どうでしょう」「北の国から」「天体のメソッド」「銀の匙」のように認識されている(もっと濃縮されたものとしては、北乃カムイが歌う曲の歌詞のような)北海道ですが、実態としてはもっと変な空間だと思います。
それらについて、展開されるのか、はたまたウポポイのオープンやゴールデンカムイなどにより突然フィーチャーされているアイヌ(次回文学フリマ札幌では「アイヌ」カテゴリとして登場します)の話が出てくるのか、楽しみにしながらも、僕はもう少し別の話をしなければならないと思っています。
そう、僕の人生を狂わせた石狩振興局PRキャラクター、フランチェスカのことを。
フランチェスカとは何だったんデスカ
フランチェスカについては以前紹介記事を書いており、続きとして1クール目(道内主要都市編)・2クール目(郊外編)の二部編成で論じようと思ってましたが、全然きれいにまとまらなかったので、今回はあらゆる本編を飛ばして、北海道史とフランチェスカ内北海道についての語りをする。フランチェスカについては、なぜかwikipediaが圧倒的に詳しい(僕は書いてない)ので、詳細な設定などについてはこちらも参照のこと。
現実の北海道史はおおまかに次のような流れになるだろう。縄文時代以後、内地は弥生時代に変遷したが、北海道はそのまま続縄文時代に入り、アイヌ文化へと入っていく。江戸時代になり、松前藩が誕生することでいわゆる”日本史”と再合流※する。北海道誕生は開拓史が置かれ、改称された1869年が起点とされ、北海道命名150年目であった2019年にはいろいろなプロジェクトが動いていた。
※コシャマインの戦いは室町時代後期。シャクシャインの戦い、クナシリ・メナシの戦いは江戸時代松前藩誕生以後。
〈たびらい:北海道の歴史 より引用〉
北海道とボカしているものの、和人によるアイヌの征服があることは譲り難い事実だろう。しかし、北海道は節操もなく151周年目である2020年には民族共生象徴空間:ウポポイ(「国立アイヌ民族博物館」「国立民族共生公園」「慰霊施設」をメインとする複合施設)をオープンしている。
しかし、フランチェスカはこういった複雑な文脈を取り入れていない、北海道PRキャラクターである。箱館戦争を戦った土方歳三ほか新選組が登場したり、クラーク博士だけでなく新渡戸稲造が登場するにも関わらず、だ。
フランチェスカ世界における北海道史は次のようになっている。超・超古代北海道文明ナンマラシバレルネェ王国が崩壊し、超古代北海道弁が使われる時代がやってくる、その後、縄文時代から始まり現実の歴史をなぞっているかに思えるが。鎌倉時代に源義経が内地から稚内へ逃げてくる(義経が切ったとされる岩)、源義経=チンギスハン説を援用しモンゴルへ渡る。時を経て箱館戦争勃発、五稜郭の戦い。石川啄木も函館に存在。クラーク・新渡戸は北大にいる。彼らはそれぞれ亡くなるが、現代の北海道にアンデッドとして復活してしまった。
良識ある読者は、奇々怪々な設定だと思うだろう。ゴールデンカムイが流行り、ウポポイがPRされている今みると、滑稽かもしれないが、北海道民(少なくともサブカルチャー・ポップカルチャーで町興しをできると考えていた人々)はこのとき、特にアイヌについて深く考えていなかったことも窺える。
フランチェスカとほぼ同時期に北海道PRキャラクターとして生まれた北乃カムイ(前半部にて楽曲の歌詞紹介をした)のカムイという名はアイヌ語で「神」を意味したりと、まったくアイヌ文化について無意識というわけではないが、北乃カムイも特段、そのキャラクター性などにアイヌ的要素が宿っているわけではない。アイヌ文化や歴史が抜けていることに、作者(プロジェクト)に積極的なアイヌ差別的な思想があったわけではないだろう(それが倫理的に正しい選択だったかどうかは別論)。
ここに僕はアイヌ差別を見出した、と言いたいわけではない。もちろん、アニメフランチェスカのヘンテコ北海道史によってアイヌ民族や文化がオミットされたことは、超・超古代の過去から様々な時代の人間を救済するフランチェスカのメイン軸からは外れるように思える(長編が許されるのであれば、アイヌ救済編があってもおかしくない。それを描くだけのアイヌに精通したスタッフが用意できるかは微妙だ)し、無自覚にせよ名だけを借りた北乃カムイはともすればアイヌ文化の上澄みだけを得ているように見えるだろう。15分×2クールで北海道のPRを兼ねつつ、官からのさまざまな制限のうえで、物語のあるアニメ作品をつくると、名産物や名所とフランチェスカ御一行様を絡めることが限界だった、みたいなリソース配分の話でしかなかったんだと思う。
しかし、ここで北海道PR要素やご当地あるあるのようなものを除いて、アニメフランチェスカを見返すと、詳細は別途いつか書くとして、結論として実はアンデッドになる以前の人物(新撰組や石川啄木など)をフランチェスカが救済していった、そして最終回でフランチェスカはアニメの世界から去った。この続きはアニメ二期の可能性もあったが、それよりも現実の世界の我々(=北海道経済)を救っていくというのがフランチェスカプロジェクトが目指していた夢だったのではないだろうか。
フランチェスカプロジェクトに潤沢(無限)の資本や人材、時間があれば、アイヌ文化も含めた北海道という孤島に関わる万象を救済できたのではないだろうか。そういった射程のあるプロジェクトだったのではないかと、夢想することがある。
無論、その夢は既に散ってしまっているのだが…。
北海道とは何か、というときに浮かんでくる、果てしなく牧歌的で魅力度No.1でなんとなくしあわせそうな北海道のイメージとは異なる、救済が必要な孤島としての北海道。フランチェスカプロジェクトのような虚構の超・超古代文明のちからを借りなければならないほど、厳しいものなのかもしれない(北乃カムイはもう少し即物的だったことで、地場産業を救うことに成功している一面もある)。
そんなアニメフランチェスカに囚われ、北海道に住み続ける僕の今一番の楽しみが、3/29のゲンロンカフェ北海道イベントなのである。
したっけね。
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