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弱ペダ39巻感想/手嶋純太への呪詛

――――ティーブレイクって何だよ!!!!

手嶋純太に入れ込んでのめり込んで引きずり回されるようにしてここまで読み進めてきた集中力が、ぶっつり切れた。衝撃的すぎて一旦本を閉じた。短くも平凡なこれまでの人生の中で自分なりに積み上げてきた常識が書物の中で危機にさらされると、人は本を閉じることで身を守ろうとするのだと知った。

弱虫ペダル39巻を読んだ。

二ヶ月前に読んだ38巻は、山岳賞ゴール前残り400mのところでハコガク真波にメカトラが起こり、並走していた総北キャプテン手嶋が一歩前に出たところで完璧な引きを作って終わっていた。当時単行本派だった私は勝負の行方が気になって気になって、二ヶ月も待てねえ!! と情緒不安定になるほどだった。
そのとき私は、二ヶ月後に明らかになる未来について、以下の2通りを予想していた。

A. 奇跡のラッキーボーイ手嶋純太がこのビッグチャンスをモノにしてギリギリ逃げ切り、凡人悲願の初勝利を遂げる。

B. 山に愛された男真波山岳がマージンに怯むことなく実力で追いつき抜き返してゴール、格の違いを見せつける。

Bが本命、Aが対抗、確率としては7:3、くらいの気持ちで、一体どっちなんだ焦らさないでくれ!! ひと思いに殺してくれ!! でもネタバレはやめてください!!! と身悶えながら39巻を待っていた。まさかこんな、

C. 手嶋純太はせっかくのチャンスを華麗にゴミ箱シュート、ティーブレイクがてら真波山岳を待って再度実力勝負。当然負ける。

なんて第三の可能性は思いつきもしなかった。そんな選択肢があり得るなんて思ってもみなかった。

漫画を読んでいて、展開に裏切られること自体は好きだ。いつも何が起こるかハラハラしながら読めるのは、作者の実力あってのことで、それは至上の贅沢なのだと分かっている。いやもう本当にありがとうございます。

でも今回のティーブレイクは、そういうのとはちょっと違った。

何でこんなに拒否感があるのか、5分くらい考えて、たぶん分かった。

『弱虫ペダル』にこんなにも熱くなれる理由、キャラクターに感情移入する際にベースとなっている“私自身が部活をしていた高校3年間”を、その期間ずっと正しいと信じていたやり方を、真っ向から攻撃された、と感じたのだ。


≪注意≫ このノートは、手嶋純太の停止を許せなかった脳筋読者の人(私)を救済するための殴り書きです。手嶋純太への呪詛と自分語りを延々と書き連ね、最後に勝手に見つけた怒りの落とし所を書いています。手嶋純太の停止を普通に受け入れられた人にはあまり得のない文章ですのでご注意ください。


高校生活3年間を、私は柔道部員として過ごした。

柔道はどちらかといえばスポーツマンシップの重視されない競技だと思う。というか、スポーツですらない。武道だ。武道はもともと殺し合いだ。殺し合いにスポーツマンシップも紳士もクソもない、甘いこと言ってる奴から死ぬ、みたいな考え方が少なからず根底にはある。

今はどうだか知らないが、少なくとも私が柔道部員だったころ、部の方針は「何としてでも勝て。そのためなら審判から見えてない位置では何でもやれ」であった。今だから言えるが、審判に見咎められたら確実に注意減点を受けるような行為を、審判には見えないように行う練習、というのが毎日の練習メニューの中に組み込まれていたほどだ。寝技で劣勢になった時に腿の付け根をグリッとするテク(びっくりして体が竦む系の痛さのツボがある)とか。

それを汚いことだとか、紳士的でないとか、そういうふうに思ったことはなかった。“そこまでやる”ことが、すなわち全力を尽くすことだという認識だった。全力を尽くさない試合なんてつまらないし、相手に失礼だと思っていた。

これは決して私の母校に限ったことではなく、柔道界、もしかしたら武道界全体の傾向だと思う。たとえば、相手が勝手につまずいて尻餅をついた場合でも、俺が倒したんだと審判にアピールするために遠慮せず堂々と発声しろ、というのは多くの指導者が教える基本的なテクニックだ。もちろんそれで一本勝ちになることはないだろうが、有効のポイントがつくかもしれないし、ポイントがつかなくても試合がもつれて判定になったとき有利になる可能性があるからだ。そこから本当に互角な試合運びで時間切れになったとき最後の最後に、尻餅を理由に審判の旗が上がる可能性がゼロではないからだ。

それは勝利に対してひたむきなだけで、恥ずかしいことじゃない。武道でなくても、サッカーの接触の後おおげさに芝の上でゴロゴロ苦しんで見せる遅延行為(こういうやつ https://youtu.be/wmyPmQSjA0c )だって似たものを感じる。見苦しかろうが、仮病がバレたらペナルティだろうが、その行為によってチームが有利になるのなら全力でやるべきだと私は思う。

相手のミスやアンラッキーにはガンガンつけこむ。相手も、こちらが隙を見せればすぐに責め込んでくる。私は、競技スポーツの世界でもそれが正しくて当たり前だと思っていたのだ。


だから手嶋純太のティーブレイクという選択も、その選択に胸を打たれる真波山岳も、飲み込むことができなかった。まるで登場人物がいきなり宇宙語で会話し始めたようだった。

ましてや手嶋純太はチームの主将でありブレインだ。チームの勝敗について最も過敏になるべき人物だ。加えて、他に手のない代打とはいえ、エースクライマーを出すべきシーンにおいて率先して自分が出たという事実は揺るがない。この山岳の勝負について、彼には最終責任がある。主将としても一選手としてもだ。

お前こそは、何をやってでも勝つべき選手だったのではないか?

自分の手を汚してでも、チームに勝利をもたらすのが役割だったのではないか?

待たなくても、誰も怒らなかっただろう。怒る権利なんて誰にもないだろう。特出した才能にも恵まれず、毎日努力を重ねるばかりで、あんなにも勝利を、ただ一勝を渇望していた過去を私たちは知っている。凡人手嶋純太の努力を、苦悶を、涙を私たちは知っている。その涙は私たちの涙だ。かつて凡人であった私たちが、畳の上で、コートの上で、グラウンドで、あるいはベンチで流したのと同じ味の涙だ。

手嶋純太に勝ってほしかった。

スプリントを獲れなかった青八木・鏑木の代わりに勝ってほしかった。

レギュラーになれなかった古賀や杉元の代わりに勝ってほしかった。

インターハイに届かなかった日本中の凡人たちの代わりに、バレー部に移った東戸くんの代わりに、私の代わりに、傷だらけになりながら泥臭く勝ちを拾ってほしかった。栄光の架橋を流して号泣する準備はできていた。漫画の中でくらい、凡人が報われたっていい。そういうカタルシスが用意されているに違いない、という甘えに近い感覚もあったのかもしれなかった。


なんでだよ手嶋純太。


手嶋純太はゴールしなかった。紳士のスポーツだからとか、努力してる奴は自転車の上では平等であるべきだとか、頭では彼の言うことが分かっても、やっぱり納得できなかった。

百歩譲って、個人のレースなら個人の思想に基づいて紳士に徹してもいい。勝利を二の次、三の次にしてもいい。でもこれはチームのレースだ。あんなに一心同体で戦ってきた青八木一と走る最初で最後のインターハイだ。インターハイといえば千葉県の他の数多のチームを踏みつけにして勝ち上がってきたひのき舞台でもある。

お前は青八木に「真波がメカトラして、無視して行けば勝てたけど待ってやって、それで負けたんだ」ってありのまま報告できるのか? 無敗の怪物二年生相手に限界まで体を張って、バカのくせに自分よりずっと才能のある一年生を嫌な顔もせず育ててサポートして頑張ってくれた青八木に? 青八木がそれでも掴めなかった勝利を、二人があんなにも望んだ勝利を自分の手で掴むチャンスだったのに?

最終学年でのインターハイに届かず県予選で総北に破れ散っていった他校の3年生がせめて同郷の総北を応援しようと見に来てくれていて、沿道で手嶋がんばれって叫んでいたとしても、そいつの目の前でも真波を待てるのか? そいつがお前だったら迷わずゴールしたかもしれないのに? お前はそいつを踏み潰してその坂に立っているのに?

考え込んだ。チームの勝利をみすみす手放した手嶋純太を許せない! と怒り狂って本を投げ出すのは簡単だ。でも私は手嶋をどうにか許したかった(言い方が悪くてすみません)。自分の中で手嶋を嫌な奴にして、ファンやめますと宣言して終わりたくはなかった。弱虫ペダルという作品が好きだから、ちゃんと消化して理解したかった。

しばらく考えて、ツイッターにグチグチ書いて反応をいただいたりして、何とか一つの落とし所が見つかったので、私のような面倒臭い読者のために書きとめておきます。


仮説:手嶋純太は、「待った」のではなく「走れなかった」のではないか


手嶋の体力はとっくに限界だった。それはもう脳がスイッチを切ってしまうほどに(あれ多分渡辺先生は経験あるんだろうな……スイッチが切れる時って何の脈絡もなく関係ないこと考え始めて、気づいたら倒れてるっていうやつ……私もそうだった。試合で首絞められてオチた時の話だけど)。魂だけが生きていて、死んだ体を無理やり引きずって走っている状態。死んでるのに死に切れない、勝つまで死ねない、走る幽霊。

死んでるからもう目もかすんでほとんど見えてなくて、見えるのは少し前を走る真波山岳の背中だけ。世界は今それだけだ。その背中に追いつき、追い越すことだけが全てで、それだけが成仏の条件だ。他には何も、考えることもできない。追い越した後、どうするのかも分からない。どうして追いかけているのかも、もう思い出せない。幽霊には、今、ここ、しかない。

そんな手嶋の幽霊が、真波山岳を追い越してしまったのだとしたら。

かすんだ視界にはもう何も映らない。誰もいない何もない先頭の真っ白な景色。いきなり目の前に開け放たれた天国の門。あと一歩を踏み出せばいいだけなのに、幽霊にはその一歩の踏み出し方が分からない。

オレは今までどうやって走っていたんだっけ?

ペダルってどうやって回すんだっけ?

憎い憎い真波に食らいついて取り憑いてここまで走ってきたのに、真波なしで今さら走れない。幽霊は一人では走れない。ここまでは隣に真波がいたから、こいつより前に出なければと怨念で進めたのに。それがなくなってみたらもう、ボロボロの体が残っているだけだ。こんな体で走れるわけがない。

手嶋純太の幽霊は、真波山岳を追い越して成仏してしまったのだ。

待ったのではなく、本当に一歩たりとも、真波なしでは走れなかったのだ。

見開きの彼の表情が、このご都合主義な仮説を裏付けているような気がする。

これまで真波に見せてきた手嶋イズムを貫くならば、「ティーブレイクしてたんだよ!!」はニヤつきながら言うべきセリフのように思うのだ。ひとつ年下の、ハコガク純正クライマーという高校ロード界においてはもはや神にも等しい階級の選手に対して、ずっと卑屈な笑みを絶やさなかった総北がけっぷち二番手クライマーの手嶋純太なのだから。

この手嶋純太にはもう笑う余裕がなかった。ティーブレイクなんて穏やかな単語で隠しきれないほど、顔が怒っている。もちろん真波に対してではない。最後の最後で成仏してしまって、勝者になれなかった自分自身に怒っているのだ。限界以上の努力を重ねても、仲間の思いを積んでも、それでも動かなくなってしまった凡人の脚に怒っているのだ。

好きで待ってるわけじゃない、動けるものなら真波なんか待たずにゴールしている。真波がどれだけ努力していようと、仲間の努力の方が大事だ。自分が一生うしろ指さされようと、仲間に一勝を届ける方が大事だ。そんなことは分かっていて、それでもどうしても、体が動かなかった。

手嶋純太は弱い。

真波にはきっと生涯理解のできない次元で、手嶋純太は弱かった。

そう読むことで何とか、手嶋純太というキャプテンを好きでい続けることができました、という話。個人の感想でした。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。



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※文中で触れた、母校の柔道部がちょっぴりダーティーな練習をしていた件ですが、もう10年も前の話で顧問も柔道の公式試合のルールも今とは違うので特定はやめてください……地方ののんびりした公立高校でインハイ経験もなければ強化選手とかも輩出してないのでご安心ください……弱小がえらそうに部活トークしてすみません……

おまけ① 手嶋純太に夢を見る系の凡人が見ると泣いてしまうCM

おまけ② 手嶋純太に夢を見る系の凡人が聴くと泣いてしまう名曲


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