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偈頌:水滴が落ちる

心に結露した水が


無意識という湖へ滴り落ちる

嬉しいのか悲しいのか

わからない

でも嫌な気分じゃない


水滴の落ちる音

同心円に広がる波

感情と記憶が交差している

静かにその奇跡を観察する


自分の内側でふと感じた感覚や浮かんできたものに言葉をあてました。なにを表しているのかはわかりませんが、通勤中の車の中でこのヴィジョンが急にパッと浮かんできました。
ときどき無意識というのは大変深淵な景色を見せてくれます。昔はそういう無意識のパワーに圧倒されてしまって、どうしたらいいかわからないときもありましたが、最近は自分のなかの無意識のパワーに圧倒されることなく冷静に観察できるようにようやくなってきたような気がしています。
自分の内側には感情があります。そして記憶もあります。それが身体の感覚と共鳴した瞬間、急に内側に景色が広がります。それはもはやなんの景色なのかもわからないし、どこで見たものなのかもわかりません。けれども自分の内側にあるものです。この世界にある神秘というのは何も外を探さなくても内側にもたくさんあります。僕の場合は本当にたまになのですが、急にヴィジョンとして立ち現れてきます。意味づけすることは意味を多層的にして、多義的にして、ある種意味をフランクに扱うことです。しかし、内的なヴィジョンというのは意味づけを拒否するような意味を放ったりします。そのとき、もはや自分が自分に対して行う意味づけがあまり効果を発揮しません。そんなことも内的なヴィジョンにはごくごくたまにあるような気がします。

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