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命というもの

今、大変な人は乗り越えてほしいこと、心配してることを前提に読んでほしいんだけど、毎日生きてるとさ、ニュースにならずとも毎日どっかで誰かの命は失われてるやん?おれは311と同じ年の10月に台風で田舎の家がばあちゃんの一回忌でちょうどみんな離れてる時に全壊したんだけどね、その全壊する寸前まで親戚一同が全員その家にいたからまじで死にかけたんよ。でさ、ばあちゃんが救ってくれたんかなって話とかをしてる時に田んぼにモロに知らん人の遺体が流れてきたんよ。おれは何気にトラウマレベルのそういうの結構体験してて、乗ってた電車が人を撥ねた時に1両目で飛び込む瞬間から見てしまって人を踏む感触をめっちゃ感じながら電車がブレーキかけてて腕だけ飛んでったりしたのを見たこともある。グロ話で申し訳ないけど、おれは実は友達の葬式にも行ってないんだけど、死に方を予想してたからで、知りたくないし、見たくなかったから訃報ってわかってたのに一ヵ月以上受け入れられなくて折り返せなかったんだよ。

で、話戻るけど台風が静まってきた時に目の前に遺体流れてきたのを目の当たりにした時にさ、そういう中で生きてることの意味みたいなことを考えるようになったんよね。ツイッター見たらもう311の時とは違って台風ネタで大喜利だとか学校とか会社休みにならないかなとかそんな話が大半だったんよ。だからなんだろう。おれはそん時にたまたま事の重大さを体験してただけで、それがなけりゃみんなと同じだったと思う。そんなことを考えてたらこの世界って矛盾だらけだなって思って。だから今回の震災の時にすんげー冷静にツイッターしてたりとかちょい冷酷な感じに見えてたかもしんない。でも当たり前に心配してるんだよ。

だけどニュースの深刻さにみんなが流されがちなのも事実で、普段は誰かが亡くなったニュースが流れながら笑い話しても誰も何も言わないし責めない。なんならダーウィン賞みたいなクソ冒涜なもんで笑ってる人さえいる。でもこういう時だけは不謹慎だとかで炎上するでしょ?そこにおれは矛盾を感じるわけよ。命の重さはニュースの大きさじゃないってのはみんな当たり前に知ってるはずなのに、ニュースが大きいほど自粛ムードみたいなのがすごくなるし、不謹慎だので争いが起きたりなんだかんだ騒ぎになる。でもそんな言い合いをしてる今の瞬間でさえどっかで誰かが別の事故だとかで亡くなったりしてる。かもしれない。全然ありえない話じゃない。

去年亡くなったおれの友達も、台風で溺れて流されてきたあの時見た遺体もさ、みんな家族や友達があるわけよ。ひとりひとりの人生と物語がある。何が言いたいかってと、おれは普段から全てに気を遣って生きるなんて無理だけど、その現実は忘れないようにしたいし、台風きたら会社休めるだの死人が出てもニュース次第で笑い話のが大きくなるような矛盾した風潮の中で何を大事に生きるかを考えるべきな気がしてる。タイムリーな話なんだけど、ちょうどこれと似た考えというか、答えのわからない気持ちを歌う曲のトラック作っててさ。だからなんか思い出した気持ちとかもあってひっそり書いてみたよ。

ちなみにしにてー事なんて数知れずあるし、それを口にすることは別に不謹慎ともなんとも思わない。そうやって吐き出すことで繋ぎ止めてるものがあるのも知ってる。まぁ何が言いたいかって他人の生死の話で言い合いしたり噂話で盛り上がるより自分の今を大切にして欲しい。おれの書いた詩じゃないけどTwinkleって曲を年末に出せて良かったって思ってるし、おれ自身もこの曲にこの詩を乗せてくれたあっすんの気持ちというか価値観で結構救われたりしながら他の曲も作ることが出来てたし、なんだろ。ここまで書いたとこで全くオチが思いつかないけど、自分が辛い時に繋ぎ止めてるものはみんなとの絆だから感謝を忘れないって気持ちを歌ってくれたこの曲と、いつもそれを大事にしてるあっすんって子との出会いは自分にとって特別だったし、自分がアルバムで表現したかったものがはっきり見えたとこもあったり。結局のところオチがない話なんだけどこれで締めるわ。

みんないつもありがとう。

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