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なぜ人はカレーで感動するのか。「心のカレー」とは何か? (カレーのパースペクティブ #2)

なぜ、私たちはカレーに感動するのだろうか?
そして、どんな時にカレーに感動するのだろうか?

  
カレー。
それはやたらと心動かされる食べ物である。香りは脳にダイレクトに届くという話があるが、カレーについての記憶は全てが印象深く、心の奥底にこびりついて離れない。日本人の記憶の奥底に集合的無意識のように横たわる、そんな「心のカレー」を題材として対話を行った。

ほとんど面識のない大人たちが土曜の夜に2〜3時間ずっとカレーについて真剣に話している、という状況は冷静に考えてかなりヤバイ絵面なのだが、毎回なにかしらの気づきがあるので考えることが好きな方にはおすすめだ。


このnoteは、「カレーのパースペクティブ 」プロジェクトにおいて行われたカレーにまつわる哲学対話の個人的なアーカイブである。


※最後に、いただいた「心のカレー」エピソードを36個掲載しています。
※「カレーのパースペクティブ 」については第一回に書いているのでご覧ください。


Q:「心のカレー」とは何か?

カレー×哲学対話では毎回誰かが話題を提供し、それに関して話し合っていく。今回は僭越ながら私、カレー哲学が「心のカレーとは何か?」という題で話題提供をさせていただいた。 


話題提供者:カレー哲学

万人がそうだとは言えないが、少なくとも自分にとって、「カレー」というのはなぜかやたらと感情を動かされる食べ物である。さらには「カレー」という言葉の曖昧さ、多義性、それから異常なまでの間口の広さと奥の深さのせいで、人ぞれぞれによって結びつくイメージが異なってくるのが面白い。
これだけ広さと深さを併せ持って日本人に愛されている食べ物はそうそうなく、誰にでも何かしらのカレーの記憶があるのかもしれない。

そう思い、以前Twitter上で「心のカレー」エピソードを募集したところなかなか興味深いものがたくさん集まった。

「一番好きなカレー屋さん」でも「大好きなカレー」でもない。「心のカレー」だ。あえて「心のカレー」という漠然とした質問にしたことで回答の内容に幅が生まれてくることが面白い。

今回対話イベントの題材にするにあたって、寄せられた心のカレーエピソードたちから共通項を見出し5つに分類し、それぞれに名前をつけてみた。

1.ファーストインパクトカレー
2.失われしカレー
3.幼少期の思い出カレー
4.プライスレスカレー
5.非日常カレー 


 順番に一つずつ説明していく。

1.ファーストインパクトカレー

”小2・3の時に隣に住んでいたパキスタンファミリーのママが作ったダールカレーとチャパティ。生まれて初めて口にしたいわゆる本場のカレーで、子供の舌には少し辛かったけど、あの時に感じたうまみが未だに基準になってます。消息不明なので、もうこの先2度と食べられない”おふくろの味”ですね…。”

外国人の知り合いに作ってもらったカレーや友達の家で食べたカレーなど、初めて接する異文化によって衝撃を受けた時に残る心のカレー。それは自分が今まで育んできたカレーの概念の外にあるので、衝撃を受けた理由が直ちに解決できず、心に居座る。


2.失われしカレー

”大昔に食べたビルマカレー。30年くらい前に神楽坂の小さな飲み屋みたいな店で出され、それまで食べたことのない味だった。初めて出会った美味いものの記憶っていつまでも残るものですね。「神楽坂 ビルマカレー」で検索したらこんなのが出てたけど、もう店も無いし、これ以上分かりませんでした。”

既に閉店しまったお店や、何らかの理由でもう二度と食べることのできない心のカレー。代替わりやシェフの帰国などによりお店の味が変わってしまうようなこともあり、「もうあのカレーは食べられない」という郷愁の思いによって強化される。喪失体験こそが仕上げのスパイスとなり完成するカレー。



3.幼少期の思い出カレー

”幼少の頃食べた父親作のカレーです! 5年に一回位しか風邪で寝込まない母がダウンしたときに作ってくれました。寒い時期に自転車の後ろに乗って買い物から一緒に行って。市販のルーでマッシュルームがゴロゴロ入っていたのを覚えてます。北風の冷たさとか母が弱っている心細さとか、五感に残る思い出。”

子供の時の思い出とリンクしている心のカレー。日本では普及しているカレールウにより、カレーの思い出は家庭や学校の思い出と結びついていることが多い。食べた時の状況や関連する思い出によって、ごく普通のカレーでもその人にとって特別な心のカレーとなることがある。

4.プライスレスカレー

”以前何度も通っていた個人経営の居酒屋で、他のお客さんが帰った閉店間際、マスターがたまーに食べさせてくれた賄いカレーですね。プロが作る家庭のカレーはこんなに美味しいものかと感激しました。市販のルーで作った家庭的で最高の一皿でした。ずっと人生最高のカレーに君臨し続けています。”

いくら金を積んでも食べることができないような心のカレーがある。行きつけのバーの店主と仲良くなり閉店後にこっそり食べさせてもらった賄いのカレーだとか、旅先のインドで現地の人に招かれて家で食べさせてもらった家庭料理だとか。市場取引がなされていないカレーであるということと、お金で買えない特別感に加えて、家族の一員に入れてもらったかのような温かみを感じられることも心のカレーとなる要因かもしれない。



5.非日常カレー

”2011年3月11日夜の新宿区曙橋「シディーク」(閉店)の豆カレーでしょうか。他の日本人経営の店が続々と店を閉めるなか営業を続け、徒歩で帰宅する人に熱々のカレーを提供し続けました。近くの事務所で夜明かしした私も本当に助かりました。店の人も揺れでどれだけ怖かったことか。”

特殊な状況において、記憶と結びついた心のカレーがある。3.11の混乱の最中に新宿のインドカレー屋さんが一晩中熱々のカレーを提供し続け、そのカレーに救われたというエピソードはとても象徴的だが、そこまで行かなくてもキャンプの時などイベント時のカレー、旅先で病気になり食べさせてもらったキチュリなども非日常という意味で同じカテゴリーに入るのではないかと思う。


5分類と言ったのだが、実はもう一つある。それは、心のカレーがないパターンだ。


6.心のカレーがない

”私には、「心のカレー」なんてありません。あるいは、多すぎて決められません”

にわかには信じがたいことだが世の中にはカレーに心を動かされない人というのもやっぱりいて、そういう人はおそらく質問自体にピンとこない。

あるいは、カレーを愛しすぎているが故に全てのカレーが心のカレーなので決められないとか、カレーを研究の分析対象として見ているので疑問に思うことはその時々で全て解消してきた、だからその時々のテーマはあっても心のカレーはないのだというロマンのない、なんだか不遜とも言える態度だ。まあ、自分もこれに当てはまるかもしれない。


以上、話題提供として6つの心のカレーの要素を上げてみた。もちろんこれらは複合的に働くことが多いのだが、多くの心のカレーはこの中に当てはまってくると思う。

今回はこの「心のカレー」をテーマに対話が行われた。


対話

対話を通して見る他者は鏡である。そこに映し出された像を通して、自分の考えに初めて気づいたりすることもある。

今回の対話の中で気づかされたこと、考えたことを断章としていくつか書いてみる。


セカンドインパクトカレー

ほとんどの日本人は家庭や学校で繰り返しカレーを食べていて、成長する中で自分にとっての「普通のカレー」という概念を作り上げているのだと思っていた。しかし、私たちは生まれて初めて食べたカレーを覚えてはいないのではないだろうか。カレーはいつの間にか当たり前のようにそこにあって、自分と融合していたのではないだろうか。
1.ファーストインパクトカレー」が衝撃として記憶に残りやすいのは、鮮烈な香りと記憶が原因となる場合もあるが、よく知っているはずのカレーなのによくわからない、というギャップによるところが大きい。自分にとっての比較のベースとなるカレーがあるからこそ、そこに驚きを見出すことができる。
ということは、皆が知らず知らずのうちに持っている「普通のカレー」の概念こそが「ファーストインパクトカレー」なのではないか。そういう意味で、衝撃を受けたファーストインパクトカレーは、「セカンドインパクトカレー」と呼ばれるべきなのかもしれない。これは、既存のカレーのイメージが塗り替えられることによる衝撃なのだ。



普通のカレー
ってなんだろう?児童養護施設の食事

児童養護施設で働いていた方のエピソードが印象深かった。施設では食堂で雇われた業者が給食を提供する。クリアすべき栄養摂取の品目があるため、カレーも味より栄養重視になってしまい、いまいちおいしくないという。
そういう食事を何年も続けていた子供たちは、高校生くらいになって初めて外食をした時に、「カレーって実はこんなに美味しいものだったのか」とカルチャーショックを受ける。「外のカレーも美味しいけど、やっぱり施設の料理が一番だよね〜」ということにはならないらしい。これはかなり特殊なケースではあるが、子供の時から食べ慣れている味=その人の基本となる、一番美味しい味、というわけではないのかもしれない。
みんなが共通して持っているように思える「普通のカレー」の概念だが、同じようで実は全く違ったりするし、例え同じ環境で育っても違う。「普通」という言葉を私たちは気軽に口にするが、「普通」とは一体なんなのだろうか。さらには、インド亜大陸の人にとって「心のカレー」は成立するのか。その辺りも気になる所だ。


絶対に食べたくない「心のカレー」

印象深くいつも思い出す心のカレーがある。それなのにそれを食べたくない。いや、食べたいのだが食べたら何かが失われてしまう気がして食べられない、というケースもあるらしい。それは初恋の人に再会したくない、という気持ちにも似ているかもしれない。
例えば、子供の頃に友達の家でのお泊まり会で食べ、衝撃を受けたシーフードカレー。20年経ってもその人にとってはいつも思い出してしまう「心のカレー」なのだが、今まで外でも食べたことがないし、家で作ったこともない。多分再現しようと思えば簡単にできるのだが、神的なものとして無意識にずっと触れないでいるのかもしれない。思い出は思い出のままにして、大事にとっておく。こういう心のカレーは心底美しいと思うのだが、ロマンを解しない自分は、カレーによって与えられた謎はすぐに解決しようとして再現を試みてしまう気がする。


カレーのアウラ

ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンの概念に「アウラ」というものがあり、「心のカレー」と似た概念かもしれない、という話があがった。アウラは英語のオーラと同じだが意味はちょっと異なる。
アウラは一回きり、唯一の芸術作品に宿る。例えば演劇というものは演じる内容が同じでも毎回内容が変わってしまう。あの感動をもう一度味わいたいと思って録画映像を見てもそれは別のものである。ベンヤミンは映画や写真などの複製技術が発達することで、伝統的な芸術に宿るような「アウラ」は失われる、というようなことを言っている(ただしそれに伴い大衆的な芸術が発展することは歓迎する論調)。
では、心のカレーが失われる瞬間もそうなのだろうか。圧倒的に心に残っているインドカレーは一つだけだったからアウラを感じたが、似たようなインドカレーにたくさん出会ってしまったらカレーのアウラは失われてしまうのだろうか。私は、そうは言えないと思っている。なぜなら、全てのカレーはライブであり、その場限りのものであって、複製できないものだから。そういう意味では、ライブであるカレーには全てアウラが宿り、輝きを放つのではないだろうか。


謎が解けたら興味を失う

カレーが心のカレーではなくなるパターンの例として、「自分がカレーと融合した瞬間にそれが心のカレーではなくなる」ということが考えられる。心に残り続けているうちは、自分との間に距離がある。そこには、解決できていない謎が残っている。
例えばあるカレー屋の、今まで食べたことがない類のラムキーマカレーに衝撃を受け、それが大きな謎として残る。ところが何かのきっかけでレシピを知ってしまい、そのカレーが再現できてしまった。
その時に、そのカレーは自分と同化し、融合してしまったと言えるのではないだろうか。


などなど、個人的にはかなり興味深い対話だったのだが、なかなか全てを伝え切るのは難しい。こういう、一見意味がわからないけどやってみてもやっぱり意味がわからない、という体験をしたい人は「カレーのパースペクティブ 」への参加をお勧めします。

あなたの心のカレーも、教えてください。



次回の”カレーのパースペクティブ” 


次回は7/4(土)18〜20時に開催となります。

話題提供者はカレーに関して様々なメディアや雑誌などに寄稿されている凄腕カレーライターとしてご活躍されている田嶋 章博さん。

テーマは「カレー×TRIP」ということで、カレー屋さんで日常からぶっ飛んでしまう「トリップ体験」を手がかりとしつつ「カレーの非日常性」を考察し、それに関して対話を行います。

カレー店を巡っていると、ふとした拍子に、日常とは違う世界に迷い込んでしまったように感じることがある。たとえば、いるはずのないインドにいる、ような気になったり。もう二度と戻れない数十年前の世界に降り立っている、と感じたり。小説の世界に入り込んだ気になったり。

それは大げさに言えばパラレルワールドだし、日常とは別レイヤーの世界とも言える。時空のゆがみに巻き込まれている、と言えなくもないかもしれない。


ちなみに田嶋さんの心のカレーは駒沢大学にあるピキヌーのタイカレーだそうです。食ってみな、飛ぶぞ。

参加は下記からお申し込みをお願いします。おいしいカレーは作れるようにはならないけれど、ぶっ飛ぶぞ。



おまけ:寄せられた「心のカレー」エピソードたち

素敵な心のカレーエピソードをたくさんもらったので、掲載許可をいただいたものをここにご紹介していきます。

それぞれがどの類型に分類される「心のカレー」なのか、考えてみても面白いかもしれません。



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あなたの「心のカレー」はなんですか?

渋谷ムルギーの「玉子入りムルギー」です。大学生の頃から通い、もう25年くらい食べ続けていますが、不変の美味。年季の入ったレトロな空間も含めて愛すべきカレーです。再現できない唯一無二の味わいを求めて僕はまたムルギーに足を運びます。
カレー活動の原点である駒沢・ピキヌーのカントリーカリーです。

最初はピンとこなかったけど、3回目くらいから「おや??」と思い出し、気づけば週5で通うほどハマりこんでいました。そしてそれこそが、広大なカレーの荒野の入り口となりました。唐辛子の魔力、素材を味わうことを教えてくれた店です
週末露店のチョーレー・バトゥーレーです。インド在住時は金欠で毎日シェアハウスのカレーを食べていたのですが、半年もすると飽きていました。そんな時この露店が現れ、ピリ辛さとバトゥーレーの甘さがミックスされた味に病みつきに。毎週末はまるで3時のおやつのようなワクワク感がありました。
日本一周旅行中に札幌のSAMAさんで食べたスープカレーに衝撃を受け開眼。スープカレー屋さん巡った後にカレーそのものに開眼。カレー屋さんってどこも一緒だと思っててその常識が崩れたのがハマったきっかけです。カレーはどこも違ってどこも最高。

8歳の時だったと記憶しています。実家に帰省していた当時まだ新婚で子どものいなかった叔父叔母夫婦に連れて行ってもらった、函館山展望台の食堂で食べさせてもらったカツカレーがわたしのカレー人生の原点の一皿です。

よそ行きのワンピースを着て、お気に入りのバッグを持ち、叔母に手を引かれながら乗った初めてのロープウェイ。そこから見えた函館の海と街の景色。見るのも食べるのも初めてのカツカレー。

世の中にはこんなに美味しいものがあるのかと興奮して、帰ってきてからもしばらくの間、それがどんなに美味しかったかを何度も何度も母に説明したのを覚えています。美しい景色、わくわくする体験、美味しい記憶。人生最高のカレーでした。
渡辺玲さんのレシピでフライドオニオンとヨーグルトベースのチキンカレーです。というのも初めて自作したインドカレーがこれだからです。いまだに作っているときの香りでインド料理を始めたばかりの頃を思い出します。今思うと全然初心者向けではないですね。当時の自分、よくやったよなと思います笑。
押上はスパイスカフェのスパイス料理のコースです。自分の中で初めて、カレーとして認識していた存在の中の、スパイスという存在を発見したように思います。仕事で散々悩んでいた時期に行って、相方が辛抱強く悩みを聴いてくれたことも相まって、胃袋と心に染み渡りました。
今はないけど、渋谷のボルツかなぁ…18歳で東京に出てきて一人でお店で食べた最初のカレーかなぁ…親から辛いものは頭に良くないといわれていたのでそれまで辛いものは食べたことがなくて…何倍食べたか覚えてませんが頭から汗が吹き出した記憶があります。これが東京の試練かと思いました(笑)
かつて江古田にあったカレーボックスという店は、500円でサラダとカレー1種にナンがおかわり自由でラッシーまでついてくるという他に類を見ないほどコスパが良い美味しいお店でした!
お金のなかった中高生時代、学校のすぐ近くにあったため毎日のように通っており、僕のカレー道の原点になりました!
大学時代アカペラの合間にお金をやりくりして通っていた
早稲田メーヤウのインド風チキン
新宿中村屋の純印度式カリー
小金井市のカレーのプーさん
この三軒で僕のカレー味覚は育てられました。
A-RAJのベジミールス

-お米におせんべい(パパド)ヨーグルト(ライタ)かけて食べることの新鮮さ、美味しさに開眼した初めてのお店。カレーのバリエーションの豊富さに胸ときめきました
昭和60年代、今は亡き母に連れていかれたた札幌「タージマハール」。まだインド料理店が世の中にそんなになかった頃、さまざまなカレーやその中のスパイス、サモサや謎の緑ソースをつけて食べるパコラ、コリアンダー香るシシカバブに小学生ながらすっかり魅了されました。ラムララは忘れられない味です
近所に住んでいたインド人が焼いてくれたチャパティ。はじめての食感と香ばしさの虜になり、何かとねだっていた幼い頃の記憶。カレーも作ってくれているはずだがそちらはまったく憶えていない笑
10年以上前、現・ケララの風モーニング店主の沼尻さんがまだサラリーマンだった時分に開催していた南インド料理食事会「グルジリ」で生まれて初めて食べたミールス。バナナの葉の上で混ぜながら食べるそれは香り高くスパイシーかつ優しい味わい。衝撃でした。
自分の中のカレーの概念が変わりました。
所謂スパイスカレーではないけれど、カレーにハマったのは神保町の「まんてん」ですね。
学生時代は週3、4回通っていました。
自分でカレーを作るようになってからは食べなくなりましたが、実家のルーカレーも美味しかったな。
阪大坂下にあったSILK5という定食屋さんのカレーです
言い方が難しいですが外食で初めて美味しいと感じたカレーでした
給食でもキャンプ飯でもレストランでも、どんなカレーも好きなのですが、好みのど真ん中の味だと感じたのはここが初めてでした
蓮沼駅前のインディアンのカレーです。物心つく頃から、いやたぶん母のお腹にいる頃から食べていたまさにファーストコンタクトのカレー。まだまだ初代の親父さんがやっていて、うちは鍋を持って買いに行っていました。弟子が後を継いでいますが味はやはり違うので私にとってもう今は幻のカレーです。
鹿児島「ジャイカ」(閉店)のマトンカレー。地方では珍しい、本物のインド人のカレー。ヤギ肉も初めてだったけどとにかく旨い。ビザの問題で畳んじゃったけど探しだしてまた作って欲しい人生のベストカレー。

シャバシャバよりはやや固め(日本のインドカレーよりはゆるい)で、私の好みで辛くしてもらってました。常連だったので地元スタイルに寄せてもらっていたように思います。

共通のタマネギベースのソースで具材に合わせて仕上げのスパイスを変えてたのは見えていたのですが、詳細は不明です。こちら鹿児島ですが、こっちのヤギでは納得いかず、東京から取り寄せていたという話を覚えています。リプにも書きましたが、タマネギの使い方に特徴があったようで、一回だけ偶然その香りを再現出来たのですが秘訣にはたどり着けませんでした。ちなみに北インド(パンジャーブ)出身のシェフでした。
大昔に食べたビルマカレー。30年くらい前に神楽坂の小さな飲み屋みたいな店で出され、それまで食べたことのない味だった。初めて出会った美味いものの記憶っていつまでも残るものですね。「神楽坂 ビルマカレー」で検索したらこんなのが出てたけど、もう店も無いし、これ以上分かりませんでした。

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正直、どんな味だったかはっきり覚えてないんですが、慣れ親しんだ日本のカレーとも、初めてアジャンタで食べたインドカレーとも違ってました。
あとはカレー屋にいた頃に毎日昼と夜に食べ続けたネパール人コックさんの作るまかないカレーが我が心のカレーですね。また、イヤというほど食べたい(笑)

ただ、これは意外性もあるかもしれません。小さな暗い飲み屋さんで、初めて耳にした「ビルマカレー」というものが、予想をはるかに越えた味だったことで強烈なインパクトを与えられ、いまだに脳裏に焼き付いているという。
私はミャンマー料理を食べたことがないので、ミャンマーカレーとの違いは分かりません。

失礼します。僕は祐天寺カーナピーナです。
20年位前たまたま仕事の出先で見つけて何も知らず入ったのですがマイルド、セミホット、ホットとあったので
マトンのマイルドを頼んだのですがめちゃくちゃ辛かったので激怒しました。
でも食べ終わったら汗だくで鼻水たらしながら大ファンになってました
以前何度も通っていた個人経営の居酒屋で、他のお客さんが帰った閉店間際、マスターがたまーに食べさせてくれた賄いカレーですね。
プロが作る家庭のカレーはこんなに美味しいものかと感激しました。
市販のルーで作った家庭的で最高の一皿でした。
ずっと人生最高のカレーに君臨し続けています。

材料はじゃがいも、人参、玉葱、牛肉と市販のルーだったと思います。牛肉はちょっといい牛カルビでした。
家族経営のお店のまかないなので、5〜6人分くらいを作って、余りそうな時に出してくれた感じです。家族用のまかないですし、店主も特別なことはしてないと言ってたので、おそらくルーの箱に書いてあるレシピに近い、ごく普通の作り方と思います。見た目も普通の家庭のカレーです。
店主は元々ちょっと良い和食の店で修行していた方なので、料理の腕がいいのはもちろん、作り方が丁寧だったのでは…と思います。
店主の奥さんは肉屋の娘さんで肉に詳しい方でしたので、カレーに入れた牛カルビの目利きをしてたのでは…と推定しています。

推定ですがまとめると、
・普通の作り方
・プロの丁寧な仕事
・普通の材料
・安くて良い材料を選ぶプロの目
・これらが揃うと、普通のカレーが温かくて最高のカレーに化ける

という感じでしょうか。
長文失礼しました。普通のカレーですが最高です。
エーラージのアミルタラージさんの作るカレー、特にマトンカレーです。スタッフとして関わっていた時、こんなにたくさん(量)スパイス使うのか❗と、カルチャーショックをおぼえました。それまで本や雑誌で見ていたシェフや研究家が紹介するレシピとは全く違うものでした。

とにかくインパクトが強く残っているのはシナモンスティック❗長めのものは半分ぐらいにバキバキ折って鍋に放り込む姿が記憶に残っています。チリペッパーやターメリックも一般的な量よりは明らかに多かったと思います。

ラージさんからはいろんな話も聞きましたが、強く心に残っているのが、料理はバランスが大事!少なくても多すぎても駄目、美味しくないと。でもインドでも家庭によって貧富の差(特に昔は)が激しいから使えるスパイスの種類も量も違うと。だから使いたいだけ好きに使える家庭の料理はリッチなんだと。インドではスパイス=マネーなんですよね。それくらい大事で貴重なんだと教わりましたよ
小2・3の時に隣に住んでいたパキスタンファミリーのママが作ったダールカレーとチャパティ。生まれて初めて口にしたいわゆる本場のカレーで、子供の舌には少し辛かったけど、あの時に感じたうまみが未だに基準になってます。消息不明なので、もうこの先2度と食べられない”おふくろの味”ですね…。

生まれて初めていただいた環インド世界のカレーがそこのダルとチャパティーだったので、いい意味で一番衝撃を受けたのはダルとチャパティですね!

もう一つ、しょっぱいヨーグルト(ライタ)は本当にカルチャーショックを覚えました。甘いのが普通だと思っていたので、あの頃はライタだけは受け入れられなかった…そこの子供(僕の1つ下の学年)が日本のふりかけが好きで、ヨーグルトにかけて食べてたのはさすがに「ええええ?????」っていう笑
初めて食べたインド料理店のカレーは10代の時六本木モティのバターチキンカレーでした。生まれて初めてナンで食べて驚きと美味いが炸裂しました
うちは両親、祖父祖母、親戚に至るまで飲食店をやってたんですが、そのお店で出してたカレーです。どのお店も同じような味で特別美味しい訳ではなかったけど思い出の味です。もうみんな店を畳んでしまったので食べられないなーと思ってたら、実はみんな同じ業務用カレーだったと言うオチが付きますが汗
特別美味しくなくても思い出とセットになっているので、また食べたいです。
同じ業務用カレー缶を使ってる店では、やはりどこも同じような味でしたね。
昔は缶を飾ってる店も多かったので、一目で同じカレーと分かりましたので。
それでも売り物としてのカレーと、余った鍋にこびり付いたカレーとでは何か違いました。
元東京カリー番長の伊藤盛さんの「4種類のスパイスで作るチキンカレー」です。初めて作ったスパイスカレーがこれで、あまりに美味しく感動したことを覚えています。わかりやすくとっつきやすいこのレシピがなければスパイス沼に入らなかったかも知れません。
色々と思い出した結果、湯島デリーのカシミールカレーになりました
カレーライス初めて食べた時は「これおいしいの…??」でしたが、その内VeryVeryHotをオーダーするくらいにはなってました。中毒性とんでもない。
私は銀座にあった「ニューキャッスル」のカレーです。当時社会人1年目の営業職で先輩に連れてって貰い「つんかまダブたま」という大盛りの裏メニューを教わってから何度も通いました。おばあちゃん家みたいな匂いのする古びた店内と、スパイシーな味、親父さんの優しい笑顔がずっと心に残っています。
うまく説明出来るか分かりませんが、当時のお店の空気とか古びた空間、匂い、親父さんの笑顔や壁に貼られたメニュー、小さなテーブルや椅子など、その全てが揃った中で味わうカレー。仰るように閉店によって自分の心にしか残っていないことにより、そう思ったのだろうと思います。
白井市のモンターズレストランの前身のアルヌールのビリヤニです。
南アジアでビリヤニに出会い、県内で食べられる店を探したのですがチャーハン日本米ビリヤニばかりで愕然としていました。
日本人受け狙ってない香り高いビリヤニに感動しました。
高校から大学に進学するにあたり、何か変わった料理を作れるようになりたいと思い、スパイスカレーに手を出しました。最初はなかなかうまく行かず、何度めかの挑戦で初めて上手くできた南インド風チキンカレーの味は忘れられません。
誰もが知る超ベテラン有名俳優の息子さんと知り合い、あるとき吉祥寺のご実家にお邪魔したら、キッチンで超ベテラン有名俳優さんがカレーを作ってくれてて、お裾分けしてもらった。以来「非プロが作ったカレー」であれを超えるものがない。コクがあってスパイシー、だけどとても家庭的な味わいだった。
わたしの心のカレー、専門店でも何でもないんですが、ロイヤルホストのジャワビーフカレーです。しかもわたしが食べたんじゃなくて、これ母の大好物で、ロイホに行くと母は絶対これを頼んでました。子ども3人の家のカレーはバーモントカレーの甘口。家のカレーが世界一だったわたしの前で、母が「この辛さがいいのよね」とか「やっぱりこれよね」と絶賛したジャワビーフカレーは何だか今でも心に残ってます。ちなみにわたしはまだ食べたことないですが、まだ提供してるのか…
心というか精神のカレーになってしまうのですが…

マジックスパイスのアクエリアスを2度目に食べた時
耳が遠くなって目の前が霞んで…身体が数センチ浮いてる感じになって両手足がどこまでも伸びていく感覚になったんですね

辛い料理大好きで、辛過ぎると起こる身体の反応を色々知ってる筈でしたが流石にトリップは初めてでしたすぐ帰ってこれて、息が整うとすごくスッキリしました。
そんなカレーを作りたいと思って、忘れかけてましたが今に至りますね…
カレーの懐の深さは母親の作るタイカレーに教えられた気がします
フィーリングで料理する母なのですが、ヘチマや冬瓜(地元ではナーベーラー、シブイ)など昔ながらの野菜を躊躇なく入れていました
地元ではそういう食べ方しないので同級生とかに話すと驚かれましたが…
素材のイメージに囚われない料理の原体験かも
あとは、何のスパイスが入ってるか当てる楽しみもそこ発祥です
・思い出のカレー…池袋にあった「Vcrop cafe(2010年に閉店)」のキーマカレー
・①今までルーのカレーしか食べたことなかった自分にとって初めてのスパイスから調理されたカレーだった
②男子校から大学入学で上京して初めて入ったカフェのメニューにカレーがあって、カレーは単なる家庭で食べるものではないことを知った
③男子校から大学入学で上京してとにかくモテたかったところでこのカレーを食べて、これ作れたらモテると確信したから
④③という不純な動機とはいえ、自分がカレーをスパイスから作るきっかけになった思い出のカレーだから
バングラデシュ滞在中、熱を出した時に作ってもらった友人のキチュリの味が忘れられません。子供の頃に食べたお母さんのお粥を彷彿とさせる優しい味だったので、バングラデシュ滞在中にも関わらず幼少期の記憶が蘇りました。涙を流しながら有り難く食し、その後大きな抗生物質を飲んだら回復しました。


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