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「無知」の技法 NotKnowing

読書は楽しい。知らないことをたくさん知れる。

今回、「無知」の技法NotKnowing  不確実な世界を生き抜くための思考変革
著者:スティーブン・デスーザ、ダイアナ・レナー

こちらは結構、分厚いがところどころ著名人の名言が挟まれていたり、内容は知っているつもりになっていてピンポイントで指摘されるとイタイところを突いていて面白かった。付箋だらけのため、メモ✎ 本書では実例が紹介されており、わかり易い内容。

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私たち自身の脳も、知識があること、確信できることを望む。人間の脳が最適な機能を果たすためには確信が必要なのだ。

確信が揺るがされると、神経学的には身体的攻撃と同じ苦痛を感じるという。ほんのわずかな不確実性でも脳内エラー反応を引き起こす。例えば、上司が何を求めているのかわからない…重大な不確実性を抱えているのは、大きな負荷なのだ。人間の脳は常に答えを求めている。

【ひとりよがりのうぬぼれ】
自信過剰な専門家は、自分に専門知識があると確信し、専門家のように行動し、専門家のように見せようとする。彼らは幻想にとらえられている可能性があるが、私たちは専門家を疑うのが不得意だ。
ダニエル・カーネマン(心理学者、行動学者)

「知っていること」に焦点を置くあまり、知っていることを疑ったり、知らないと認めたりすることができなくなるのだ。

人は新しいスキル獲得に努力をするよりも、すでに得たスキルの継続的向上を望む傾向があるのだ。

人は新しいスキル獲得に努力をするよりも、すでに得たスキルの継続的向上を望む傾向がある。
あるジャンルで長年受けてきた訓練のコストを考えると、それを捨てて「1から始める」事ができないのだ。
能力が高くなればなるほど、私達は「知の呪縛」に陥りやすくなるのだ。知の呪縛とは、知識が増えることによりその専門領域をシンプルに思考・説明できなくなる状態をいう。

関わった個々人は極めて知性が高い人々だったのに、傲慢さと群集心理と重要な役割を果たす専門家への盲信による集団的失態として今回の金融危機(リーマンショック)は生じたのである。

私達は周囲からのプレッシャーを敏感に察知して、自分の力不足や無能ぶりを隠そうとする。
たとえ答えを知らないときでも知っているふりをしたがる。あるいは反対に他の人は知っていると信じたがる。専門家を探しすべてを知っていると思いこむ。

責任者に全知全能たることを望む私達の期待感が、幼少期の体験によって形成される。
私達が人生で初めて触れる全知全能の存在は、親もしくは保護者だ。こどもの人生は親を宇宙の中心としてスタートする。

どんな立場でもどんな肩書でも人はものを知っているふりをしたがる。他人に失望されるくらいなら偽りの知識を示すほうがマシだと感じるからだ。
自分が無能に見えたり他人の信頼を失ったりするのは耐えられないのだ。

急速に変化する世界を理解するために私達は往々にして既存の知識に頼る。
その知識はすでに有効でも正確でもないかもしれないのに。世界は凄まじいスピードで変化しているが、私達の脳内では世界に対する認識や事実は静止したままだ。

世界がかくも急速に変化しているのだから、私達の知っていること、知っていると思っていることはどんどん無価値・不正確になっていく一方だ。

私達は予想外のことを予想しないだけでなく、目の前の行動や日常的な行動における自己の制御能力を過大評価する傾向がある(コントロールの幻想)。

未知の領域に乗り出すときは、その過程の小さな成功や目標到達を喜ぶことが大切だ。たとえ最終的なゴールには至らないとしても。

知識、技術、競争力のような「ある」を追求する能力(ポジティブ・ケイパビリティ)と沈黙、忍耐、疑い、謙遜のような「ない」を受容する能力(ネガティブ・ケイパビリティ)を組み合わせたときに初めて新しい学びと想像の余地を生み出せる。

信頼と責任の意識があれば人間はより良く働ける。

ものを知らないと認める行為はリスクをはらむ。だが同時に周囲との絆の意識を育てるものでもある。弱みを晒し、謙虚になることで、ともに働く者同士の距離を縮めるのだ。
そうすれば力を合わせて問題を解決に臨むことができる。

既存の知識に依存していると、往々にして足をすくわれる。新しい情報が来たときが特に危ない。真に優れた学者、真に優れたリーダーならば既存の知識を「疑う」という行為を楽しむ。
新しい発見に目を開き、知らないという姿勢で向き合う「すきま」をつくりだす。

「見えない世界に踏み込むとき、一番してはいけないのはコントロールできないものをコントロールしたがるエゴにしがみつくことなんです」(盲目の写真家)

予想外の展開でいつものやり方が通用しなくなったときや、物事がつまずいたとき、大慌てでそのすき間を埋めようとするのではなく、ただスローダウンして沈黙し、動きを止めて待つ。
数秒が永遠に感じられるかもしれないが、そうした沈黙が新しいものが湧き上がる場を開く。


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