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日本企業のマネージメントができない理由

新年度に変わり大きく成長を感じる場面が多くなった。
昨年度は若い女性職員が多いこともあるが、感情面のマネージメントを要される部分が多かった。

最初は傾聴することが必要だと思って真摯に受け止めて聞いていた。しかし、聴けば聞くほど【自分の力でなすのではなく、周りをどうにかしたい】
という本質が分かってきてからは、仕事の時間内であっても、全く取り合わないと決めた。

私にできることは、【聞く耳を持たない、寄り添ったり合わせない】
ことであった。日本風のマネージメントであれば、優しく話を聞いてあげて、勇気づけてもう一度仕事ができるようにサポートする事を、求められることもあるだろう。しかし、会社組織は仲良しクラブではない。

はっきり言ってしまうと、本気で仕事をしている側からすると、邪魔な存在でいて、それを続けるなら早く消えて欲しいとも思う。

仮にそこに立ち合ったとしても、出てくる解としては、「誰々が嫌い」「なんで私が評価されないの」というような、チラシの裏にでも書いておいて欲しい結論になることが予測されるからだ。

下の方に流れるだけで、何も生まれないし誰も幸せにならない。なぜならば、自分の事さえ良ければという、そもそも働くステージにすら立てていない、志の低い人にわたしが合わせる必要はあるのだろうか?

毎日の繰り返しで満足するなら、その価値観も認めよう。ただしそれを他者に押し付けたり、他人の責任にするのは違う。気付いていないかもしれませんが、他者に聞かれる時点で、自分だけの問題でなくなっていると言うことである。

その疑問が最近読んだ識学によってはっきりと理解できた。

マイクロマネージメントの手法も知っている。しかし、長期的な目線においては、組織としての結果には一つもつながらなかった。

飲み会に誘ったり、話を親身に聞いたり、感情に寄り添ったり、時にはプライベートの相談にも乗ったり。一見どこにでもある風景であるが、識学ははっきりと否定してくれる。

それは、個人に焦点があたり、「この人だからついていこう」とか「この人のために働きたい」という属性が個人に偏ったマネージメントになり、その人がいなくなれば、極端に組織の力が弱くなってしまうことにも繋がりかねない。

過去のノートにも書いているが、もちろん何かしら疾患の可能性があったり、職場にいること自体が極端にストレスになってしまう場合は除く。

もう少し抽象度を上げると、日本の企業が停滞していることの一つの理由になっていると思う。感情のマネージメントというと聞こえは良い。

ただ、全集中して仕事をしている身からすると、新卒の子や感情が押さえきればいおっさん、おばさんのお守りをしたとして、組織の利益につながるかというと、疑問ではある。

その人自身の人生における仕事の寿命は、短期的に伸びるかもしれないが、それをし続けたとしても、長期的な利益に繋がらない。つまり感情のマネージメントは時間が取られる割には、識学からの視点では生産的ではないということになる。

もちろんそれが大切な家族であったり、親戚であれば話は変わるかもしれないが、心理の専門家がなぜいるかというと、専門職の立場からじっくり時間をとって話を聞き取り、専門のアプローチが必要だからに他ならない。

厳しいことを言うが、組織を続けようと思うと、雑談に花を咲かせたり、陰で悪口を言ったり、感情のマネージメントをしたり、そう言ったことに時間を費やせるほど、ビジネスの世界は甘くない。

業務の時間外、もしくは病院や専門職の方に相談をすべきことであるからだ。それをなぜか職場に持ち込むことが当たり前になって、所有物ではないのに会社を私物化することが当たり前になっているケースもある。

ネット文化が発達したことによって、言論の自由を履き違えて、愚痴や悪口を言うことが、許されているかのように感じる方がいらっしゃるかと思いますが、自分の未来を閉ざし、才能も開花せずに一生凡人でいたい方は、そうしていただいたら結構かと思います。

そうやってやり過ごそうと思っても、会社にい続けられなくなって、結局は弾き出されるか、自分から退場していくことになるかと思いますが、それまでの時間を人の悪口を言うために思考を使って、自分を正当化させることに必死になって、そこに未来はあるのでしょうか。わたしは遥か先の未来で頑張っていますよ。

次回は識学の考え方について書いていみたいと思います。

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