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阿部芙蓉美の歌詞の良さについて(音についても少し)


急速に阿部芙蓉美にのめり込んでいた。

歌詞がいい、とだけツイートしたあと、その良さについてもうちょっとだけなにか書きたくなった。長くはないけれど。なお考察や批評のつもりではないので、いちいち「私の解釈ではこうである」とか「これこれこのような理由で良い」とは付け足さない。

歌詞について

自分で書く前にまずは阿部芙蓉美自身によるセルフライナーノーツを引くのがよさそうだ。

今作「Super Legend」は冒頭4曲、
傷だらけでボロボロなので我慢して聴いてください。

5曲目から少しずつ息を吹き返し
ラストは鳥になってぶっ飛んでいきます、よろしくお願いします。

阿部芙蓉美「Super Legend」セルフライナーノーツ

「傷だらけでボロボロ」の冒頭4曲では「うまく息ができない」、「まだ少し生きなきゃいけない」、「生きることに疲れてしまった」、「クソみたいなこの場所」などと歌われる。

それに対して後半の曲は軽い。軽いというの大仰なことを言っていないという程度の意味だ。そしてこの軽さは(クソみたいな場所で)生きていくことに何とか折り合いをつける術を見つけた者の軽さだ。

だれか海に連れてって さかなとか釣ろうよ
髪も上手にまとまった 前向きでいよう
晴れた午後だよ
みんなのすべてが うまくいくようにと祈る

凪 / 阿部芙蓉美

「だれか」「さかなとか」という言い回し。とりたてて本気で釣りに行きたいと思っているわけではない。ただちょっとそんな風に思えて言ってみただけだ。何故か。天気がよくて、髪が上手くまとまったから。

道の加減は あんまりよくない
可憐なフリルで ふわっと鼓舞して歩こう

Fountain / 阿部芙蓉美

何があっても何もなくても
オーガンジーのドレスで とりあえず気分上げよう
我が人生
まぼろしのような喜びにこんにちは 素敵ね

オーガンジー / 阿部芙蓉美

お気に入りの服を着てスニーカーで好きに歩くことの軽さ。それは世俗の世界において、生きることに疲れてしまった人にとっての、自分で自分の機嫌を取るための手軽でささやかな方法だ。「まぼろし」というのはそれが本質的な救済ではないと分かっているからだ。

「オーガンジー」には「人生」という言葉が3回出てくる。歌詞カードや歌詞サイトには表れないけれども、これらは実際には「ヘイ 我が人生」「やあ 人生」と歌われる。重要なのは「嗚呼 我が人生」とは歌っていないということだ。自分の人生をいくらかよそよそしく客体化し、大したものとはみなさず、気安く「ヘイ」と呼びかけ、それでも「素敵ね」と肯定する。

人生に絶望した人に、救済は信仰によって与えられるかもしれない。神様はご存じでいらっしゃるとか、審判の日や、または来世で報われるだとか(何でもいいけれども、例えば『ワーニャ伯父さん』の最後のソーニャのセリフを思い出そう)。

「みんなのすべてがうまくいくようにと祈る」というとき、祈りはそのような大いなる存在への祈りではない。世俗に生きる人から同じ世俗に生きる人への祈り。晴れた日は前向きですべてがうまくいくように思える。あなたもそのように思えるだろうか。その程度の、いうなればご挨拶だ。

救済を待たない(待てない)人の祈りはせいぜいそのくらいのものでしかなくて、あとは気分の上がる服だとか、髪が上手くまとまることのうれしさだとかいったものを手に取って何とかあと少し生きていくしかない。

クタッとよれたスマイリーフェイス
胸元にいつもいるよ

オーガンジー / 阿部芙蓉美

どんなものでもいい、しかもめちゃめちゃ些細なものでいい。
人々の胸元でとにかくいい感じの何かが光っている様を想像しています。
そうでもしないとこの世の中で正気を保って生きていける気がしないから。

阿部芙蓉美「Super Legend」セルフライナーノーツ

音について(少し)

あとは音について少し。

ピアノの伴奏だけのアレンジ。深い響きのピアノのイントロが、歌が始まるとその極めて単純なメロディーに寄り添うコード弾きに変わり、その3音目で阿部の発声に合わせて一瞬だけぴったりとダンパーでミュートされる。ピアノにも息継ぎが必要だったことを思い出した、というかのように聴こえる。2コーラス目は響きの浅いピアノで始まり「凪ぐ 世界」を繰り返すところまでにはまた深さを取り戻す。

Fountain

ベースともキックともつかない、ブツブツしたシンセの音が、ピアノが作る単純でゆったりしたリズムとは無関係に、やや不穏に鳴り続ける。数えると6連とも取れるが、他のパートのタイム感とは異なるので後で足したのだろう。おそらくクリック無しで録った他パートに無理やりくっつけた痕跡がある。

曲の殆どはそのピアノとシンセの単調さが支配するが、終盤でハープの音が鳴り終わったのを契機に音像に広がりと少々の豊かさがもたらされ、しかし物足りなさを残すようにぷっつりと終わる。

オーガンジー

ミュートされたギターの均一な刻みと手数の少ないベースとドラムスで始まり、それは最後まで変わらない(そうでなければならない。これはハレでなくケの歌だから)。

このステディな3ピースの他に足される音はとても少なく、それらは順に1つずつ印象的に現れる。まずコーラス、リード楽器に似た音色のシンセ、そして変調された声。

特段しっかりソロを弾くというのでもないウーリッツァーの間奏が始まり、我々には1コーラス目を反芻する時間が与えられる。手持ち無沙汰なのでちょっと歌ってみた、とでもいうような阿部のハミングが始まり、すぐに終わる。

最後に「素敵ね」と歌った後、アウトロが少し続き、申し訳程度のようなさりげない終始感で締めくくられる。


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