ショスタコーヴィッチALS説について

 ソ連の大作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)が、ALSを患った著名人としてMuscular Dystrophy Associationのリストに記されていることは結構知られており、Rolakのアメリカの研修医用の回診対策本のNeurology Secretsにも記載されています。1999年に出版されたインディアナ大のPascuzziの論文がもっとも詳しく考察されていると理解していたのですが、2009年に掲載された論文、Newmark, J. Neurological Problems of Famous Musicians: The Classica Genre. J Child Neurol. 2009; 24:1043-1050にて詳しく考察されていたのを発見したので紹介したいと存じます。

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 ショスタコーヴィチの最後の15年間にわたって記録されている慢性で進行性の神経学的症状がなんであれ、運動ニューロン疾患を患っていたことは実は証明されていない。障害は彼の演奏能力を確実にうばっていくが、作曲の才能は最期まで衰えなかったことは特筆される。
 もともと体は丈夫な方ではなく、生涯にわたり健康状態はよくなかった。1958年に最初の神経学的徴候に気がつかれる前にも病院やサナトリウムでの療養をしている。1958年以前にも既に筋力低下が出現していたことは、 The last Summer Together (DSCH journal#2)で子供達の乗る自転車に追いつけず転倒してしまうというエピソードが示唆している。
 1958年には明らかな神経症状について訴えている。 

 私の右手は非常に弱くなった。ピンや針は持てるが、重いものを持ち上げることはできない。指でスーツケースを握ることはできるが、外套をフックにかけられない。歯を磨くのも困難だ。書き物は疲れてしまう。ピアノはゆっくりピアニッシモでしか弾けない。なんとかコンサートでは弾けたが、私はこの状態をパリで気がついた、。この状況を私は気にとめなかった。これが何の病気であるのか等私の問いには、高名な医師達には答えられなかった。彼らは病院で過ごせという。
 
 不思議なことにこのパリでの演奏旅行にて、彼自身のピアノ協奏曲の演奏が録音されて商業出版されている。リテイクが困難だった当時の録音であるので彼の演奏能力が正直にあらわれているこの録音では、確かにいくつかミスタッチはあるものの、やっと弾いたとはいえない演奏で、高い評価をうけている。ショスタコーヴィチは自分の障害について誇張があったのかもしれない。数年後にはピアノ演奏家であることを完全にやめるが、作曲は全く問題なく継続される。

 1960年、息子のマキシムの結婚式のとき、彼は突然足が崩れ、左下肢を骨折してしまう。7年後右下肢も骨折し、その後は明らかに足が不自由な状況が生涯にわたり残る。私の右足は折れた、左足も折れた、右手はだめだ。必要なのは左手を怪我することだ、そうすれば私の手足は100%ポンコツだと、自嘲気味に病院から友人のGlikmanに報告している。

 1965年も終わりになる頃、レニングラードの医師 D.K. Bogorodinsky によってpoliomyelitis(急性灰白髄炎)の一種と診断される。ショスタコーヴィッチは子供の病気にかかったよと冗談気味にいうが、歩行障害と手の不自由は容赦なく進む。
 1966年にGlikmanに宛てた書簡では、

 病院にて外科医のMichelsonと神経科医(neurologist)のSchimidtが精査した。彼らは私の手足の状況に非常に満足したようだ。結局のところ、ピアノが弾けないとか階段を上れないとかは全く問題ない。ピアノは弾かなくていいし階段も避ければ良い。家にじっとしていれば良い。滑りやすい歩道や段のあるところで散歩する必要もない。確かにそうだ。昨日は散歩にいって転倒した。家にいればそういうことは起こらないはずだ。・・・・・

 ショスタコーヴィチは医師が慢性進行性とした症状の改善の希望にこだわっていた。8年間のコンサルトで診断はつかないし、ましてや治療もなく、彼のシニカルな姿勢は理解できる。彼は執念をもって多々の治療法を試している。異国のハーブ療法や代替医療、特に1967年にShaginyanからのギフトで日本製の磁気ブレスレットに感謝しており、奇跡の効果があらわれると信じてつけていた。
 1973年にアメリカのノースウエスタン大より名誉学位を受けた際、彼はNIHにて評価されている。そこでの結論は慢性進行性麻痺性疾患(chronic progressive paralytic disease)であった。
 1975年の夏8月3日、桃を食べているとき窒息して咳を何分も繰り返した。そのまま病院に入院したが、特に死がせまっているとは思われなかったが、8月9日6時50分窒息した。
 PascuzziはこれらをALSの球症状と捉えている。窒息後の肺炎でもともとの心不全を増悪させたのだろう。
 ショスタコーヴィチの最期の手紙は示唆的である。

 親愛なるKrzystof、覚えてくれていてありがとう。手紙もありがとう。私はまだ心肺の問題で病院だ。右手でようやくなんとか書くのが精一杯だ。走り書きを許して欲しい。Zosiaによろしく、暖かい握手を。D. Shostakovich. 追伸。ビオラとピアノのソナタを書くのは非常に困難だけれど。

 死の床で書かれたショスタコービチのビオラソナタはビオラ音楽のなかでスタンダードな曲となっている事実からも、最期の最期まで彼の知的レベルが全くおちていなかったことがこの手紙から伺える。彼は自分の主な健康問題は心肺疾患であり神経疾患ではないとそのころであっても考えていた。
 
 ショスタコーヴィチがALSであったという確証はないものの、慢性進行性の神経症状はALSあるいはALSらしいとPascuzziは結論づけている。最大の論点は15年という長い経過である。筋電図が残っていれば運動ニューロン疾患であるという仮説が証明できたかもしれないが、検査がされたかは明らかでない。他の疾患、多巣性運動ニューロパチー、ポストポリオ症候群、多髄節の頸椎症、あるいは脊髄空洞症なども診断も候補であろう。

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 私は診断がどうであれ、彼の発言にみるどんな困難であっても皮肉とジョークを忘れないで、ある意味楽観的に前向きに生きてきた人間性に心うたれます。
 神経内科医に診てもらっており、さらには日本の医学者にはおなじみの留学先であるNIHにても評価されていることは興味深いです。NIHの診療記録などが発見されれば歴史的に重要な所見がえられるかもしれません。この論文にはシェバーリン、グレン・グールドについても論じられています。ショスタコービチの最後の交響曲15番の最終楽章の最後で打楽器のリズムだけのアンサンブルがあり、こういうのは筋電図検査から思いついたのかなあとか考えた頃もあるのですが、それは無理なこじつけのように思います。

 訳文は適当で論文の全訳ではありません。ご興味のある方はオリジナル論文をあたっていただけると幸甚です。ご意見等ありましたら伺えれば光栄です。

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