普通

結局人は人の既に歩いた道を見て
あたかも自分のものかのように歩く
新しく斬新にも思えたその道は
いつのまにか慣れという人の持つ能力に支配される
結局誰かの歩いた道の再発見に過ぎないのか
それが当たり前の世界では皆普通の顔をしている
少なくとも普通の顔を装っている
そんなものなのだろうか
みんな諦めているのか。
そもそも気にしちゃいないのか
私は人の道からは外れないけれど
人の作った道は歩きたくない
いや、人の作った道を歩かされたくはない
選択権を放棄せずまたそこに責任を持たせなくては

ただ人によって当てる焦点は異なる
道といっても良く耳にする表面的な道ではない
ミクロな焦点では皆開拓者なのか
私の場合焦点を当てるのは表面的な生活ではなくて内面的な心といった所なのだろう
少なくとも人と人との掛け算ではミクロな世界も広がる
普通なものはやっぱり悲しいしやりきれん

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