見出し画像

シャニアニ第3章、2回目観ませんか?というお話

こんにちは。フィリアと申します。
シャニアニ第3章が、1月5日に公開されました。私も初日から観に行きましたが、それ以来、Xやnoteなどで、様々な感想や考察が飛び交っていますね。
絶賛から酷評まで、幅広い感想も見られますし、またそれらに対する「批評とは」「批判とは」「ファンとは」というような議論まで巻き起こっているように見受けています。
かくいう私は、絶賛というほどではなく。どちらかというとネガティブな気持ちも抱いてしまったというのが正直なところです。

3日たって8日(月)、シャニアニ第3章を再び観ました
率直な感想として、1回目より晴れやかな気持ちで、楽しく観られました。
ということで、シャニマスPのみなさん、シャニアニ第3章、2回目観に行きませんか?
※以下、シャニアニ第3章のネタバレを含みます。








どんな人に2回目観てほしいか

シャニアニ第3章を観て、絶賛という評価だった人は当然何度も観て、よかったポイントをぜひ共有していただけたら嬉しいです。
が、私はシャニアニ第3章の初見でネガティブな感想を抱いた方に、殊「シナリオ面にネガティブな感想を持ったけど、シャニマスのこと大好き」な方にこそ、もう一度観ていただきたいと思っています。

なぜもう一度観るのか

簡単に言うと、結末を知っているからです。つまり、結末がどうなるか、という点に思案をめぐらせながら観る必要がないからです。
これは飽くまで個人的な感想なので、当てはまらない方もいると思いますが、シャニアニ第3章のシナリオは、全体的に肩透かしだった印象があり、これが観ていてモヤモヤしてしまった、その感覚が最後まで続いてしまった結果、ライブパートでも盛り上がりに欠けるとすら思ってしまいました。
肩透かしというのは、例えば、
・Catch the Shiny tailをやるのか!?→深くやらない
・アンティーカ感謝祭をやるのか!?→やらない
・何かトラブルが起こるのか?→起こらない
・何か劇的なMCをするのか?→しない
といったところです。

そんなシナリオを、私は「ナレーションを入れる前のドキュメンタリー」だと思いました。そして、このアニメは徹底して「1stライブ」を描きたかったのだと、何となく理解しました。だから、結果として何事もなく少しずつ前に進んだ物語だし、アイドルたちも劇的な言葉を交わし合うわけではない、と。

そのうえで、もう一度観ると、とにかく細かいディテール(アイドルたちの表情、視線の動きなど)に集中できるようになります。ナレーションがないのであれば、この表情、この視線の動きが、1stライブへの心情としてどのように移り変わっていくのか考えることができます。そして、描きたかった「ライブ」を純然たる「ライブ」として観ることができ、より楽しむことができます。

結果として、私個人としてはより真乃の視線、めぐるの動きを追いかけるようになりました。どういう意味があるのか、どんな気持ちだったのか、それは彼女たちの中にしかないけれども、それを想像することでこの物語を楽しむことができると思います。
そういった営みは、シャニマス大好きな方にならきっと受け入れられると思っています。
だからこそ、私は「シナリオ面にネガティブな感想を持ったけど、シャニマスのこと大好き」な方に、改めて第3章を観ていただきたいと思っています。

最後に、このnoteを投稿した気持ちとして、シャニアニに対する口汚いお気持ちnote・ポスト等への抵抗の気持ちがあります。
1回観ただけで、すべてを批判しきれると、批判どころか、口の悪い言葉を使ってののしることができると、思わないでほしかったと思っています。
ツイートもしましたが、私は、冷静な言葉で努めて客観的に批評することと、罵倒して悦に入ることとの間には雲泥の差があると思っております。
マイナスの評価を下している方におかれても、どうかもう一度観て、より客観的に、何がいけなかったのか、努めて客観的に書いていただければ(できれば公式にもアンケート等にて届けていただければ)と思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?