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幸福論の最初の一歩

・はじめに
AI時代の幸福論について、様々な考えを巡らせている。
まだ自分なりの回答は出ていないが、試行錯誤するうちに、どういうステップを踏めば良いかは見えてきた。
別に特殊なことではなくて、人間根源的な欲求からボトムアップで考えること、だ。

また、人によって感性が異なるので、個別の事として一旦は考える必要がある。
そもそも時代背景によっても全然感じ方が異なる。
元々それがどういう枠組みの中から言い出されたことなのかを知らないときちんと把握できない。

・時代や背景や文脈
例えば、「功利主義」とは「全体の幸福度を上げる」ということ。
これについては、現代では「少数の意見が反映されない」と言われてしまう。
けれど、これが提示された時代は政策決定においては、
それまでほとんど無視されていた「労働者」「女性」「奴隷」がいる世の中だった。
要は、今とは逆で少数の貴族がほとんどの富を独占することが当たり前だった。
そんな中で、時代の潮流とは異なる「最大多数の最大幸福こそが目指すべきだ」と解いた。

※後からこの部分を読み返して思ったが、貴族という存在は近所にはいないものの、今も富の独占はそのままか。
※ここで言いたいこととしては、当時この発想が出てきた背景が重要だということ。元々は、不平等の解消などを目指していた。

では、今「功利主義」は使えない考え方かと言えば、そうではない。
功利主義はそもそも個人というよりは、集団に視点を当てている。
複数の人間がいて、初めて意味を持つ主義だ。
そのため、政府主導で何かをするために考えるきっかけになっている。
また、現代から見ると「少数派が差別される恐れがある」のは、考えればすぐ分かる。
だから、「功利主義」自体は、そういった批判に対しての柔軟な回答も用意している。

人生は有限なので、各哲学について、どこまで深く追求できるかという課題はあるが、
要は前述の通り、時代背景や言われている文脈によって解釈が変わったり、あるいは、主義の主張が変化していっている。

そこで、まずは自分自身に適用できる理論を考えることにした。
汎用性を考えると、余計に時間がかかるからだ。
自分の感性に従って、とにかく、納得感のある考えを追求することを目指している。

・ファーストステップ
最初の一歩として考える必要があるのは、「マズローの欲求5段階説」だと思う。
教科書に載っているので、誰もが単語くらいは聞いたことがある内容だろう。
マズローは、次の順番で人間は欲求を持つと考えた。
下段が満たされたら、その次のステップに進むということになっている。

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(1)生理的欲求
 食事、水、睡眠や休息、住居や衣服、温度管理、呼吸や排泄といった身体の基本的機能

(2)安全の欲求
 物理的な安全(健康や怪我からの保護)
 経済的な安定(仕事、収入、住居の確保)
 法律や秩序、社会的ルールの存在(治安や法の支配)
 健康保険や災害に対する備え

(3)社会的欲求
 家族、友人、恋人などとの親密な関係
 職場やコミュニティでの社会的つながり
 仲間との友情、連帯感、所属感
 孤独や疎外感からの解放

(4)承認欲求
 自己尊重(自己価値感、自己効力感、達成感)
 他者からの尊敬や認識(評価、賞賛、地位)
 職場での成功や業績の認知
 自己成長や能力の発揮

(5)自己実現欲求
 創造性やイノベーションを発揮する
 自己成長やスキルの発展
 芸術的・学問的追求
 人生の目的や使命を達成すること
 自己の価値観に基づいた生き方
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ちなみに、晩年マズローはもう一段追加した。
6段階目に「自己超越」が来るとしている。
簡単に書くと、自己実現した人たちは、自己を超越して利他に至るということだ。
ただ、ここまで階段を登れる人は3%とか5%くらいだと考えられているらしい。

・マズローの解釈
さて、マズローの定義について。
一般的に人間の根源的な欲求と言われている訳だけれど、これが当初の僕を悩ませた。

1,2についてはまったく異論がない。
食べるのに困っている状況で、幸福なんて考えても意味がない。
まずは衣食住が揃っている必要がある。

ただ、5段階ある中の3段階目から、僕は疑問符が浮かぶ。
僕は簡単に言うと、INTJ-Aというタイプで、他者との交流を重要視しない。
なので、社会的欲求は特に欲求として存在しない。
というか、4段階目も含めてだが、他者から自由になることこそが幸福だと考えている。
むしろ、他者にどう見られるかなどを考えるのは害悪だとさえ感じる。

・自分のケース
昔の僕は他人からどう見られるかを非常に気にしていた。
だから、自意識過剰で誰からも監視されているような心持ちに勝手になっていた。
けれど、他者からどう思われるかなんて、他者が気にすることだからどうにもならない。
自分で変えられることだけに注力すべきという考え方に出会って一気に救われた。

そして、そこからは他者の目線から自由になるように考え方を変えた。
一朝一夕で変わるものではないから、自分の感情をコントロールする方法を学んだり、
いかに他者の期待で生きることが自分にとって損なのかということを学び、言い聞かせた。
その結果、社会的な欲求や承認欲求を克服することができた。
ゆえに、わざわざ昔の自分に戻るような欲求に身を委ねたくない。

多少極端だとは考えているが、しかし、今の自分にとっては馴染の深い考えになった。
これによって見落とされる快もあるとは思うが、とはいえ、人生は有限だ。
すべてを手に入れることは出来ないのだから、自分がそれほど欲していないものにまで
時間を使うのは勿体ないだろう。

とはいえ、マズローのこの仮説に同意している人は多いし、
別で幸福論について述べている人も他者との関わりを重要視する考えは多い。
どうしたものかと悩んだ末、結局、自分にとっての幸福論を突き詰めるしかないと思った。

・前提を疑う
前述の功利主義のように、現在当たり前になっている考え方がすべてではない。
ある本に『哲学者の役割は、その時代の基本となる前提を問いただすことである。』と書いてあった。
だから、僕は今基本となっている前提を問いただすことで、自分をすくい上げて、
かつ、僕みたいに考える人の役に間接的に立てたら良いと思っている。
この部分については、僕も書籍などによって救われた経験があるからだ。

だから、僕にとってマズローの仮説は当てはまらない。
当てはまらないことは、おかしいことでもなんでもない。
僕にとって馴染の深い仮説を追求する必要がありそうだ。

さて、3,4まで来た後で、元々の最終形は自己実現欲求だった。
僕は3,4をすっ飛ばしてはいるものの、この自己実現欲求はかなり強いと思う。
自分の24時間をルーチン化して、かなりの部分最適化した。
そして、その時間を自分のやりたいことに費やしている。
他者から見れば、ストイックに見えるほどにやっているが、僕自身は毎日楽しく生きている。

一方で、自己超越については、現時点ではあまり考えていない。
自己実現の途中で生まれるものが、他者の役に立ったら良いかもなと思うけれど、あくまでそれは目的ではない。
あくまで、僕が僕を理解してよりよく生きたいだけで、僕の文章を読んで他の人がどう思うかとか、多少役に立つとか、あるいはかなり害悪になるとか、そんなことは些末なことだ。
僕がどうにかコントロールできることではないので、気にしても時間の無駄でもある。

「マズローの欲求5段階説」を自分なりに解釈することで、
最初の一歩、そして大きな一歩を踏み出せたと思っている。
この一歩をさらに進めるために、自分の興味の赴くままに幸福論を追っていきたい。

・AI時代の幸福論
なお、AIの時代は、これまで僕が生きてきた時代からもさらに大きく変わる可能性がある。
僕が生きてきたのは、最初は携帯電話もネットもなかった。
学生時代、早いタイミングで触れたことで、生活が一変してしまった。
今やネットもスマホもない時代のことなんて考えられないだろう。
(なお、僕は家に引きこもっているのでスマホ自体はいらないものとしてカウントしているが)

しかし、それ以上の変化がAIによってもたらされると思っている。
僕はネットができたことで、もう知識を蓄えることの価値がなくなったと考えた。
けれど、ネットを使いこなすことで、知識を知恵に転換する必要はあった。
さらに、今度はAIが出てきてしまって、知恵も即座に引き出せるようになってしまった。
となると、人間は何をすれば良いのか?

ネットによって世の中が大きく変わった。それによって哲学も変化したはずだ。
AIによって、さらに世の中が大きく速く変わるので、同様に哲学もさらに変化する。
けれど、根源的な欲求はある程度は共通のものとして残るはずではある。
なぜなら、世の中が変わっても僕ら人間の方は大して変わってないからだ。

僕らは「ホモ・サピエンス属」ではあるが、40万年〜25万年前に現れたとされている。
ちなみに、ホモ属自体は200万年前とされており、サピエンス属になるまでに150年強かかっている。
要は、生物の進化ってのはそうそう変わるものじゃない。桁が違う。
なので、ホモ。サピエンス属としての本能は大して変わっていないはずなのだ。
たった数十万年程度では。

ゆえに、人間としての根源的な欲求のベースはある程度の基盤が出来ている。
そして、それを取り巻く環境の激変によって、今の時代はどう世界を捉えるのかというのが哲学だ。
前提条件などが目まぐるしく変わってしまったので、たった今としては、どう考えるのかが重要となる。


既に書いたが、今回の考え方の整理が僕にとっての大きな一歩になったと思う。
今後哲学を進める上での方向性なども見えてきたからだ。
暗闇の中を闇雲に探索するよりは、月明かりでも良いから、地図とコンパスを持って探検した方が目的地に到着する確率が高いだろうから。


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