Twitterで政治の話題を見て思ったこと

 Twitterのトレンドを見ているだけで政治がどうと語れないかもしれないがこれはただの独り言であることをまずご了承いただきたい。

 最近ハッシュタグをつけて「〇〇に反対します」「〇〇に賛成します」というのを散見するようになった。日本人は政治に無関心といろんなところで言われていた雰囲気があっただけに多くの国民が政治に関心や議論を行うことは喜ばしいことだろう。だがこのTwitter議論には落とし穴があると私は思う。

 それは自分に都合がいい事実だけを抽出しやすい環境・コミュニティに所属してしまうエコーチェンバー現象だ(名前がついているんですね)。これはTwitterに限った話ではなく多くの媒体でこれが発生するだろう。「Aは××だ」と周りの人が話せば事実かどうかは置いといてそう思ってしまうし「Bは〇〇だ」と有名な人が発すれば根拠がなくてもそういうイメージを植え付けられてしまう。そして同様の価値観を持ったコミュニティの中でそれが常識としてまかり通る。仮に2つの対立する論理が広がればよく見かけるような対立構造の完成である。無論それぞれの主張はお互いにとって都合がいい面だけで話すので彼らの議論は平行線で終わるだろう。

 また、議論は多くの場合「賛成」か「反対」かの2択で行われる。無論それが一番わかりやすいのだが、中間択の存在を許さないかのような空気が存在している気がする。多くの国民にとってどっちが最良かが分からないからこそ間をとってみるべきだと私は思う。なぜ2択で議論を行うのか。人間もコンピュータと同じで究極まで切り詰めると「0」か「1」かの二進法で動いているのでは・・・という話はまたの機会にしようか。要は「ここはいいけどここはだめ」という意見をもっと増やすべきだと思う。

 最後に有名人の政治発言問題を取り上げよう。私は発言すること自体に問題はないと思っている。彼らも日本の国民としての権利を有している以上、誰に何と言われようがそれを否定される筋合いはない。問題は「ファン同士でもめてるのが悲しいから」という理由で削除したことだろうか。周りに扇動されて発言したとか吹き込まれてツイートしたとか置いといて、自分の発言に責任を持てなかったところではないだろうか。正直、消してなかったらどういう意見であれ筋は通るのである。

 結局批判しかしていないが、これもまた一つの養分だと思う。正解がないからこそ探り探りで動いていく。国民の多くがインターネットを自由に使えるようになったいま、政治も少し変わるのかもしれない。その変化の養分に現在の議論形態が糧となることを祈る。まぁ・・・どうなるんでしょうね?

 おわり

 

 

 

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