差別はなくなるのか?

 相変わらず日記なのか論説なのかを毎日せっせと書いていますが、便所の落書き以上、新聞の社説未満のものだと思って生暖かい目で見ていただけたらと思います。尤も毎日見ている人がいるとは思っていませんが。

 最近、社会では人種差別の話題が再燃しています。私見ですが、これは人類永遠の問題だと思っています。つまりなくならないのでは?という主張です。無論、私が俗にいう人種差別主義者ではないことを断っておきます。根拠はシンプルです。人種というマクロな視点ではなくもっとミクロな視点で考えましょう。例えば二人の異なる人間です。この二人は互いに仲が良かったとしても社会は何かと物差しで比較しようとします。学校の成績・学歴・容姿・運動能力・年収…。挙げたらキリがありません。ここに最初に挙げた人種や性別(最近はジェンダーと記述した方がよいのでしょうか?)が含まれているだけです。何かと理由をつけて優劣を決定するあるいは差異を強調するから、そこに憎みや妬みを覚え差別につなげているのです。

 さらに違った例を挙げると、水槽の魚のイジメの話が分かりやすいでしょうか。あるイジメられている魚を別の水槽に移すと、イジメていた魚はまた別の弱い魚をイジメるという話です。例え人種での差別が終わっても先に挙げた様々な要素で差別を行うでしょう。学校でのイジメも突き詰めれば同じです。何かと強者(あるいは大多数)が弱者(少数)を弾圧する構図であるのです。つまりミクロな世界で起こるイジメが存在する以上、マクロな世界で起こる差別はなくなりません。違うのは規模だけです。小さい芽を摘まない限り大きな問題を解決できるとは思いません。

 じゃあどうするの?って話ですが、そんなの分からんから「人類永遠の課題」なわけです。投げやりかつ無責任に書きなぐってこれかよと思われるかもしれないが、結局のところ人間一人が「ああしましょう」「こうしましょう」といっても強者(大多数)がそれをやめない限り無理なのです。私にできることは互いの違いを認め「汝の隣人を愛せよ」というほかありません。目の見える範囲の人間を愛し、嫌いな人間となるべく接触しないという事なかれ主義を貫くのが私の考えです。上で述べたように小さな問題を消していかない限り大きな問題を解決するのは難しいことなのです。互いを認め合える優しい世界が訪れるないかぎりこの問題はなくならないでしょう。私たちが生きている間にそれは訪れるのでしょうか?

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