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私が色彩知育®︎で変わった事②

三姉妹の末っ子育ちで、学生時代からも社会に出てからも自分より年下の後輩との縁があまりなかった私。
小さな子どもと遊ぶ機会なんてのも無く... 周りの友達に子どもが出来てからたまにその友達の子と触れ合うような機会では、子どもらしい幼稚な言動にイラっとして態度に出たり大人気無い言動(子どもと本気で言い合うなど)をしていたような私。

とにかく「自分より歳の離れた子どもとどう接したらいいかわからない」人でした。

自分に子どもが生まれてからも結局それはあまり変わらず…
子どもと二人きりで遊ぶのが本当に苦手で、保育園、幼稚園の無い週末をどう過ごそうか頭を悩ませていました。
(夫がいる日は遊びを夫に完全丸投げしていました😇)

なんでそんなに苦手なんだろう?と考えてみると...
私、子どもと遊ぶ時って
「子どもを楽しませなきゃ!」とか
「子どもに楽しんでもらわないと!」
と思って、変に自分のテンションを上げて盛り上げようとしていた気がします。
自分自身が無駄に無理をするから疲れるんだろうな、、と。

そして、子どもが思う「楽しい」と私が思う子どもが「楽しいだろう」は全く別物だという事に色彩知育に出会ってから気づきました。

例えば、初めて行く面白そうな遊具がたくさんある大きな公園に「わざわざ」行った時...

色彩知育に出会う前まで私が言っていた&やっていた事

せっかく初めてわざわざ来た公園なのに(有料の公園だったりすると特に)子どもが普段から家や近所の公園でもやっているような「戦いごっこ」「追いかけっこ」なんて遊びをしているとつい

「ねぇねぇ、あっちに面白そうな遊具があるよ!あっちの遊具で遊んだ方が楽しいんじゃない?!🤩」

なんて無理矢理テンションを上げて、子どもがまだ興味を持っていない遊具で無理矢理遊ばせようとしていました。
そんな時は大体、その後遊んだとしてもなんやかんやですぐ遊ばなくなり
(そりゃ興味が無いんだからあたりまえですよね。。)
「もう遊ばないの?あ〜あ、せっかく来たのになーーー😒」
なんて、子どもに嫌味な事を言う始末。。

これって、
「せっかくなんだから子どもに楽しんでもらいたい」気持ちもあるけど、
「せっかくわざわざ来たんだからここにしかない遊具で遊んで楽しんでもらわなきゃ勿体ない」
っていう私のエゴが大いに含まれているんですよね。。

色彩知育に出会ってからは

こういう状況になった時
「今、この子はこれがしたいんだな」
と、まずは子どもの選択を認めるように。

ひとしきり遊ぶのを見届けると、自分のタイミングで他の遊びを見つけて遊ぶんですよね、ちゃんと。

たまに気づいてないかな?という時は
「向こうに〇〇があるけど、行く?」と聞いてみて
「行かない」と言われれば
「そっか、じゃあまた遊びたくなったら行こう」と
選択肢は与えつつ、あとは子どもの選択に任せる。

この「ありのままを認める」考え方と行動で、子どもとのコミュニケーションが楽になり、元々の子どもと遊ぶ事に対しての苦手意識がかなり無くなったのを実感しています。
(無駄に無理をしないし、させない、という事が分かったから😂)

「せっかくなのに」と自分のエゴが発動しそうは時は、誰のために遊びに来ているのか?本質的な所に頭を切り替えます。
子どものために来ているのに、本末転倒🐞!

今改めて振り返ると、前までは自分の思い通り(自分の思う正解)に子どもを動かそうとしていたんだな。。と

色彩知育で使う「色」にはたくさんの選択肢があり、何を選んでも何を感じても「自由」という特徴があります。

りんごだから「赤」に塗らなきゃいけないとか、「こうしなきゃいけない」という決まり事が色彩知育にはありません。
※危険な事ではない、人に迷惑をかけないという最低限のルールの中なら基本自分がやりたい事をしてOK

子どもの選択を認めてやらせる事で、子ども自身の「自分を信じる力」「自分で決める力」を育てます。

プログラムの中で、ワークに対してそれぞれの目標はありますが(ぶどうの色を塗るとか、色を混ぜて〇〇色を作るとか)正確な答えを導き出す事が目的な訳ではありません。

こども色彩知育教室の目的は「綺麗で完璧な作品を作り上げる」事ではなくて、ありのままを認めて「子どもの個性を伸ばす」事なのです✨

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