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バンコク爆弾テロの夜

 

 おととい夜のバンコク爆弾テロにつづき、きのう日中にもバンコク市中では別の場所で爆発騒ぎがありました。そしてきょうも不審物騒ぎでバンコク随一の目抜き通りが一時封鎖に。自身のツイートまとめを中心に、今回はこの件をめぐって思うところを書いてみます。

 まず一昨夜の爆弾テロについて。爆発現場は国家警察本部からもほど近く、エラワン廟というバンコク住人であれば誰もが知る有名な廟の前です。上空には高架鉄道が走り、伊勢丹やパラゴンをはじめとする、都心の代表的なデパートも至近に集まる商業エリアです。

 東京で喩えるなら、真下に複数の地下鉄が走り、新宿区役所や新宿伊勢丹からもほど近い花園神社前の交差点といった感じでしょうか。


https://www.youtube.com/watch?v=YsoSOwjud78

(↑やや遠目からの車載動画。爆音の規模と噴煙の高さを確認できます)


 エラワン廟を狙ったこの規模の爆発は、ちょっと現時点では筋が読めません。が、反政府デモとクーデターを経て今に至るこの2年では、最大規模の人的被害が出ています。というか、現時点で28人の死亡が報じられていますね。これは一件のテロ行為としてはバンコク現代史上最大の被害におそらくなります。(ただし軍による一般市民への機銃掃射では、一度に数百名が落命した事件があります)

 この人口密集区でかつ象徴性を帯びた場所柄と、使用された爆弾の過去に例がない殺傷力を考え併せると、これをいま最もやりそうなのはタイ深南部イスラム系分離派過激グループとなりますが、そう見せかける場合と、軍事政権下の不満が底を抜けた個人の3ケースが、知らせを耳にして即座に思いついたところです。



 そして昨日午後には、一昨夜につづいて白昼の爆発が起きました。今度は高架鉄道サパンタクシン駅下にて。この場所はタイの主要河川チャオプラヤ川をゆく水上バスのターミナル駅でもあります。こちらも交通の要衝です。人ごみを狙った手榴弾が水上へ逸れたとの報道もありますが、詳細はまだ不明です。

 バンコクの一住民としての個人視点から、昨年前半の混乱期に起きた多くの爆弾事件と明確に異なって映るのは、昨年の場合は対立軸が良くも悪くも明確ゆえに、犯行の主体も犯行場所も予測範囲をかなり絞ることができたのに対し、今回は現時点でそのような材料が何ひとつ撒かれていないまま事態だけが進行していることです。これは不気味です。

 所用がありきのうは爆発現場にも近い都心部へ出ていたのですが、昼までに関してはほぼ平常通りの人出がありました。しかし午後に二度目の爆発があって以降は、さすがに街なかからいつもの混雑は消えたようです。どこも警備警戒は厚くなっていましたが、どれだけ厚くしたところで屋外の公共スペースでは防ぎようがない気もします。個人にできる対策としては、しばらく家でおとなしくする時間を増やすとか、ですかね。


 バンコク都下の学校はおととい夜のうちに多くが翌日の休校を決め(タイの夏休みは4月で、いまは平常学期中です)、鉄道や商業施設、銀行等も早くから運行や営業に関する告知をしていましたが、この対応の早さにはすこし意外な思いもありました。

 東日本震災時の被災者の秩序だった行動が、海外からは奇異と称賛の目で見られていましたが、あれは国民性とは別に、元々世界の標準に比べて地震や津波にずっと慣らされてきた面もきっとありますよね。という感じでタイにしては素早い諸対応に、この2年の混乱状況への無自覚な馴致をみるのだけれど、だからこその要用心。慣れは禁物とあらためて。

 しかし一昨晩の爆発直後、ツイッターやフェイスブック上で現場に散乱した遺体写真が次々タイムラインに溢れ出ていたのには驚きました。遺体写真をめぐる文化・慣習の違いが露骨に出てる感。このあたりはぼくもやはり日本人的というか、リツイートなりシェアなりをする気にはまるでなれず。路上にちぎれた肉片とかね、一時間前にはあった人格なり尊厳なりを、嫌でもそこに読み込んでしまいます。


https://www.youtube.com/watch?v=0FL3pscMmc8

(↑二度目の爆発動画。水煙が激しいものの、死傷者はゼロでした)


 反政府デモが頂点に達してから昨春のクーデターまでの数ヶ月は、バンコク都下では毎夜のように爆発や銃撃が起きていたけれども、今回の爆弾テロはそれらとはあらゆる意味で異質なものを感じます。赤vs黄とか政府vs反政府という均衡対峙ではない、もっと絶望的なもの。社会や時代全体に対するような。

 これに関して各種SNSのタイムライン上では、様々な憶測も飛び交っています。非常に多くの説が流れていますが、個人的に脈を感じたのは強圧内政による一部公務員の一斉解雇への抵抗や、国際情勢との関連では今年7月の現軍事政権によるウイグル難民の中国への強制送還への反発といったあたり。とくに後者については、「なぜ今」「なぜタイ」の二点が弱いIS説やアルカイダ説もウイグルを咬ませるなら連関し得るため、かなり《筋》の通るものをいまは感じています。

 などと考え巡らせるのは、異常事態に湧きたち犯人探しに興じたいからというよりも、無意識に働く世界認知と生活慣習との整合性のような水準で、今ここに置かれた状況を自分がどう捉えているかを把握したいから。また原発事故後やサリン事件後に、東京暮らしの安全性説明を迫られた心地にも少し似ています。

 とはいえ現時点でこれ以上外部情報の分析を試みるのも実を感じないので、以下すこし方向を変えた話をします。



 おととい夜の爆弾テロでバンコク住民の多くはきっと、デモが猖獗を極めてから昨年5月のクーデターまでの心境が呼び起こされたんじゃないかなと想像します。あの数ヶ月間、都心の主要交差点ではどこも昼は終日ステージから音曲や演説が鳴り響き、夜間外出禁止令下の夜は一転して大量のテント群と監視する警察や軍人の醸す無言の不穏さが一帯を圧していました。

 あの昼のにぎやかさやのどかさと、毎夜の《今夜はどこで爆発や銃撃が起こるのか》という緊張感や不穏さとあいだで日々繰り返される往還も、慣れてしまえばたやすくそれが日常になっていました。連夜のように起こる爆発・銃撃事件も大半は見知った場所で、朝が来れば事件現場にも屋台が並び、普段通りの光景が展開され。

 それで思ってしまったのです。これはたとえ空襲警報が鳴りだして、爆弾が近くに落ち始めても、きっとぼくは観たいネット中継を最後まで観ようとするし、読みたい本を読みつづけるだろうなと。平和ボケとかではなく、先ほど同様の認知と慣習の整合性みたいな話として。終戦の8月ということも影響したのかもしれません。ちなみに傀儡同然とはいえ日本の元同盟国であったタイでは、周辺の多くの国とは異なって8月15日をとくには祝いません。



 さて、一夜明けて。

 この一両日は、意外なほど多方面からご心配、お気遣いのお問い合わせをいただいています。昨年同様たしかに爆発現場が日常的に使う場所ではあれど、ぼく個人の視点からはバイクタクシーの転倒とか、歩道脇のカオスな電線からの感電などの方が依然高い可能性を感じます。ともかく、何であれ気をつけます。お気遣い感謝です。

 しかし最初の爆発があったおととい8月17日は朝から本当に変な日で、一瞬電気を止められたり、鍵師に自宅のドアを破ってもらったり、一年ぶりに記帳した口座残高が記憶になかったり。そしてこれらがなければ爆発時、ぼくは現場から西200mほどの建物にいた予定で、なんだかすべてがすこし上の空で、かなりぼんやりと過ごしておりました。

 今宵はこれまでにいたしとう。

 おやすみなさい。 





(※本記事の使用画像は、すべてネット上から拾得したものです。)

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