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借り物の場所、借り物の時間

 

“Borrowed place's living on borrowed time.”

  

 今年はじめ日本公開となったピーター・チャン(陳可辛)監督最新作『最愛の子』、日本国内ではどれくらい話題になっていたのだろう。原題は『親愛的(亲爱的)』、中国の幼児誘拐を描いた作品で、実話ベースながら誘拐者側の農村夫婦を突き放さない目線が尋常でなく深い。本作で主な舞台となる急激に都市化した深圳は、中国現代の社会矛盾が結晶化したような街だ。香港映画を牽引し続けたピーター・チャンの眼に映る混沌の深圳と錯綜する親子愛、これだけでも物語の厚みは保証済み。しかも本作で九龍から隣接する深圳を通過した視座は一気に、現代中国の全貌を眼下に収める。経済発展と一人っ子政策の生む軋みと叫び。並み居る名優のなかにあっても、農村の母に扮するヴィッキー・チャオの演技はもう気炎級。



 さて、香港である。いや、『最愛の子』に香港は登場しない。本作は徹頭徹尾“中国本土のいま”を扱う映画なのだけれど、この映画を通り一遍ではなくもう一段深い水準で味わおうと思うなら、「香港」への熟慮が欠かせない。なぜなら本作の視点はつねに中国社会を見おろす俯瞰に立ちながら、決して「対象からの距離を保って撮りました」という種の客観性へ逃げ込まない。こうした姿勢が成り立つのは、ピーター・チャンが生粋の香港人マインドを抱え、これまでもアメリカや台湾や四川省を舞台とする作品にあってさえ、それが香港映画の文脈を引きずることに自覚的な監督であり続けてきたからだ。

「借りものの場所、借りものの時間」("Borrowed place, borrowed time")

 医師で作家のハン・スーインによるよく知られたこの言葉ほど、映画監督にかぎらず香港の文化人みなが長く共有してきた心情を端的に表すものはない。たとえばいま20代以下の日本人には、つい最近まで香港の街ひとつの域内総生産が、中国全土のGDPに迫る時代があったことなど想像しがたいのではないか。しかしほんの少し前まで香港島と九龍半島のわずかなエリアにそれだけ集積した極東の富は、生き急ぐかのような現実主義の香港人たちを産み育て、いずれは崩れ去ることを誰もが前提した期限付きの砂上の楼閣にこそふさわしい、濃密で高速展開する文化文物の昇華作用がそこには生じていた。



 香港映画は、そうした香港文化のすべてを映した。なぜなら映画の歴史開幕以前の香港は、清王朝の出城であった九龍城砦を除くなら、漁村に毛が生えたような港町に過ぎなかったからだ。大戦前の中国における先進文化の中心地は、言うまでもなく上海だった。

 大戦後、香港は西ベルリンと並び立つ、西側資本主義世界のショーウィンドウの役割を負わされる。20世紀後半において人口わずか500~600万のこの街が、台湾や韓国はもとより中国本土や日本をすら凌ぐほどの文化発信力をもった理由もそこにある。むしろ単独で周囲の諸大国と競うことを、あらかじめ宿命づけられた街だった。


 

 1996年公開のピーター・チャン監督作『ラヴソング(甜蜜蜜)』は、1997年の英国から中国への返還直前の香港を舞台とした、九龍市街に漂う人々の緊張と不安、そして興奮がとてもよく映り込んだ傑作だ。個人的にも香港のバイタリティを吟味する上で、本作との出会いは決定的なベースとなった。ちなみに映画原題の『甜蜜蜜』は、劇中でも繰り返し流されるテレサ・テンの名曲タイトルからの借用で、実際彼女の歌声と無縁に1997年の香港市中を歩くことは難しかった。

 深圳には1997年の香港訪問時、香港の学生たちと出かけて数日間滞在した。彼ら香港の学生たちの、深圳の学生たちを見る目つきが忘れられない。そこには畏れと興味、警戒心と好奇心が同居していた。当時の彼ら香港人にとって深圳に暮らす同世代の若者たちは、下手をすれば日本や韓国の学生以上に遠い存在だったのだ。

 話を『最愛の子』に戻そう。この点が日本の観客にどれだけ響くかは微妙だけれど、実はこの映画、多言語作品という側面をもっている。主人公である二組の夫婦はそれぞれに陜西訛り安徽訛りを話し、深圳の場面に登場する市井の人々は広東語、誘拐される子供は誘拐前には教育方針から普通話で躾けられ、3年の行方不明ののち発見後には安徽方言を話すようになっている。

 だからなんだと思われるかもしれないが、ここには前作『武侠』を四川語で撮ったピーター・チャン監督のしたたかな対中国本土市場戦略と、中国内世界を向こうに回した強い表現意思が感じられる。むしろ中国内小宇宙とでも言うべきか、そこには14億の人口を抱えるオルタネートステイツ、もう一つの多民族宇宙が広がることを、「中国」の二文字はたやすく失念させる。



 映画『ラヴソング』は終盤で、ニューヨークが舞台になる。香港からの移民視点でニューヨークを捉えたこのシークエンスを初めて観たとき、ぼくはしばらく文字通りに言葉を失った。それまでに味わったことのない映像体験だった。映画といえばハリウッド抜きには語れないほど、今日の映画は多かれ少なかれアメリカ的商業映画の諸文法を受け入れているものだ。ピーター・チャンは、並み居る香港の映画監督のなかでもそうした大きな流れに対してかなり柔軟なタイプだけれども、彼が『ラヴソング』で映したニューヨークの摩天楼は、そのような映画文法を逆用しアメリカそのものを異化させた、「異国としてのアメリカ」への違和感を精確に捉える稀有な達成だった。そしてそこに映しだされた「アメリカ」は、かつて仕事で滞米していた母を訪ねた際に幼いぼくが観た、記憶のなかのアメリカそのものと重なった。それは日頃メディアや街なかの商品や看板等から浴びせかけられる「楽しく明るく親しいアメリカ」とは根本的に違っていた。

 とがった芸術映画のつくり手というよりは、次々に消費される娯楽映画製作の職人的な腕前を評価されるピーター・チャンが、ぼくにとって極めて特別な監督の一人になったのは、だからひとえにこの映画『ラヴソング』後段の、そびえ建つ摩天楼の場面を観た瞬間からだった。

 そのことを、ピーター・チャン本人に、いつか自分の言葉で伝えてみたい。そう思えるような表現者は、この地球上に幾人もいない。いてもどんどん、物故していく。それくらい、ぼくにとっては特別な存在であり続けた彼に直接会える、それどころか独占取材しないかという話がある日、唐突に降ってきた。

 不思議なものですね、この世って。




※本文章は、キリスト新聞2016年1月16日号掲載記事に大幅加筆したものです。

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