12スペイン旅行記_スペイン_バルセロナ_サグラダ_ファミリア_ガウディ_

私は石を砕かない


 完成まで三百年と言われてきた、スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリア。『創造と神秘のサグラダ・ファミリア』は、工期が大幅に短縮され2026年完成との公式発表も為されたこの一大教会建築プロジェクトの内幕を語るドキュメンタリー作品だ。

 「人間は、自然という書物を読む努力を払わねばならない。」

 かつてこう語った建築家アントニ・ガウディの設計思想から編み出されるもののカタチは、どれも優美な流線形を帯びて独創的、いきいきとした生命力に溢れてどこか謎めく。グエル公園、カサ・ミラ等、バルセロナ市街ではガウディ設計による建築物の多くが、いまなお現役で市民に愛用される。サグラダ・ファミリアは、それらガウディ建築中でも最大でかつ着工から一世紀以上を経て新築工事と修繕が同時並行するなど、あらゆる面で異彩を放つ存在だ。



 本作『創造と神秘のサグラダ・ファミリア』では、現場の人々からの声が丁寧に紹介されるとともに、アントニ・ガウディによる設計と現計画の抱える諸問題が広く見渡されることで、大幅な工期短縮へと至るプロセスが説得的に語られている。サグラダ・ファミリア堂内でのローマ法王ベネディクト16世による聖別ミサや、現代舞踊家アナ・フーバーの参加など見どころは尽きないが、なかでもこのドキュメンタリー作品の白眉は、主任彫刻家としてサグラダ・ファミリアに携わる外尾悦郎の語りだろう。

 すでに四十年近くをバルセロナの現場で過ごす彫刻家・外尾悦郎。教会敷地の脇では地下鉄工事も始まり、下町の発する喧騒の中核にサグラダ・ファミリアは位置しながら、その内陣において鑿と金槌を両手に訥々と語る外尾の姿は圧倒的に静謐だ。「私は石を砕かない。石が許してくれないと何もできない」 外尾がこう語る場面を見て、私事ながらは奈良に住むある知人の仏師が筆者に想い起こされた。平安や鎌倉の仏像修復を専門とするその仏師は、半ば時空を超越したような物静かで透徹した、力強い口調が外尾にとても似ている。千年単位で続く伝統宗教の袂にあっては、己一身の生のスパンを越えた境地から作品と向き合う自由が芸術家には与えられる。ことさらに個人主義が是とされ、個性ばかりが強調される現代社会において、これは極めて稀有な環境だ。



 またかつて禅に深く傾倒した外尾は無心を志し、内面に唯一残ったのが石を彫ることへの欲求だったという。「カトリックに改宗したことで、ガウディを見るのではなく、ガウディの視線を追えるようになった」 そう語る外尾の彫像群により完成された《生誕のファサード》の荘厳。キリストの生誕から初めての説教を行うまでを描いたこのファサードは、ガウディの生前に建築部分が竣工した唯一のファサードで、茂る前に咲く草花の群れをあしらう建築装飾と、外尾による15体に及ぶ天使群像との渾然一体となった様が素晴らしい。

 この東面する《生誕のファサード》と極めて対照的なのが、西面する《受難のファサード》だ。キリスト磔刑像に始まるこちらの彫像群は直線的でゴツゴツしたフォルムを具え、ガウディ建築の曲線との不調和ぶりは観る者の心を泡立てさせる。《受難のファサード》を担当したバルセロナ出身の現代彫刻家ジョセップ・マリア・スビラックスは、自らを無神論者だと言い切る。映画のなかで「神は信じないが、キリスト教文化圏にいる自分がキリスト教のモチーフを彫るのは自然なことだ」とスビラックスは語る。東洋から来た改宗者と、現地出身の無神論者との際立つコントラスト。批判を受けながらこうした意味のある抜擢を遂行しえたのも、超長期的視野に立つこの建築プロジェクトがもつ懐の深さゆえだろう。



 さて日本国内のテレビ・雑誌等でもサグラダ・ファミリアの特集は頻繁に組まれるが、日本で組まれる特集には稀な視点が本ドキュメンタリー作品には二つある。一つは、現行の建築プロジェクトが孕む〈負の側面〉にも目を配る点、もう一つはサグラダ・ファミリアが〈スペインの世界遺産〉ではなく終始〈カタルーニャの誇り〉として語られる点だ。

 本編中に登場する〈負の側面〉としては、例えば戦後ル・コルビュジエら各界の文化人による建築続行反対の大規模な署名運動があったこと、その後も周辺住民による執拗な反対運動が続いたことなどが扱われる。また外見上は石造に見せても内実は鉄骨とするなど、百年前の設計を現代的な工法により上辺だけなぞることをディズニーランドのようと謗る声も紹介される。しかしこうして教会建築への称賛のみに終わらない切り口を見せることで、本作はドキュメンタリーとしての厚みをかえって増したとも言える。

 二つ目の視点〈カタルーニャの誇り〉について言えば、本作を撮った監督ステファン・ハウプトがスイス人であることが大きく影響する。昨今もスペインからの分離独立の動きがしばしば報じられるカタルーニャだが、元をたどればスペイン帝国として合同したマドリッド中心のカスティーリャ王国とバルセロナ中心のアラゴン王国とは、歴史的・地勢的にまるで異なる系譜をもつ別国だった。ヨーロッパ大陸中央において今もEUに属さない、自主独立の気風高いスイスを出身とする監督にとって、カタルーニャをスペインとして語る発想は元よりなかったろう。


( Interior of the cathedral La Seu, Palma de Mallorca )


 サグラダ・ファミリアの建つ街バルセロナは、フェニキア人の海港都市に起源をもつ。フェニキア語の古名バルケーノ(Barkeno)に由来する街の名「バルセロナ」は、そのまま「バルカ」の家名を意味する。そう、バルセロナはかつてローマ帝国を恐れさせたカルタゴ名将ハンニバル・バルカのバルカ家本拠地として始まり、のち中近世を通じ地中海を席巻するアラゴン王国の基幹港として繁栄した。映画で語られることはないが、実はこのこととサグラダ・ファミリアに込められたアントニ・ガウディの設計思想とは深く関係する。というのも、アラゴン王ハイメ1世は西地中海の大島マヨルカを1229年に征服するのだが、同島の中核都市パルマに今日もそびえるカテドラルはこの征服年に着工され、4世紀のちの1601年に完成された。ガウディはサグラダ・ファミリア建築計画へ本格的に傾注する以前、このマヨルカのカテドラル改築プロジェクトに14年もの長きにわたり携わっていたのである。ヨーロッパ全体でも6番目の高さを誇る天井高44mのカテドラル身廊部分(nave)を下から見上げると、樹木の枝ぶりから着想したと言われるガウディのデザインが、4世紀もの時をかけ築かれたこのカテドラルから受ける影響の大きさが窺える。

 アントニ・ガウディの設計手法としては、紐と錘を使い天地を逆転させて現出させた独特の放物線カーヴがよく知られている。とうもろこしのような形状を成す尖塔群もその一例だ。ガウディといえば天才的建築家の代名詞であり、作品の源泉も強烈な個性にばかり帰されがちだが、完成すれば世界で最も高い教会建築となるサグラダ・ファミリアにこうしてアラゴンの痕跡を見とるとき、訪う者はその独特のカーヴが生む高高度の宙吊り構造により響きわたる、バルセロナの最も深部からの呼び声を聴きとることになるだろう。

 「作り手は神。私はそれを写すだけ」

 そう考えたガウディの視線は、遠く古代をも突き抜けている。




※本稿は、キリスト新聞2015年12月25日号掲載記事に手を加えたものです。

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