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pherim
2016年6月25日 20:56
モニターを前にすると、寸前まで体感したようには言葉が出なくなる。 茫漠とした想念のなかで言葉により確定し、論理と音律により展開させる思考はしかし立体的多次元的で、文章は単線的だ。それは一筆書きで彫像を仕上げるようなものだから、この思考をこの文章へと引き写す試みは端から不可能“的”になる。途方に暮れる。だからこそやり甲斐はあるとも言える。表現が個的にならざるを得ないのは、析出される思考の