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ノーレート麻雀はつまらないか?

いきなり結論を書きます。

「ノーレート麻雀はつまらないです」

ちなみに言うと僕は「ノーレート勢」です。

普段はネット麻雀の段位戦やセットばかり打ってますし、たまにはノーレートでリアマを打ったりもします。

お金なんて賭けてませんが麻雀を楽しんでいます。

・・・矛盾していると思いますか?

矛盾していません。

まずお金を賭けて麻雀をするひとの理由を整理しましょう。

①ギャンブルを楽しみたい。出来れば儲けたい

②お金という「目に見える数字」で勝ち負けを明らかにしたい

③お金がかかってないと真剣勝負が出来ない。真剣勝負がしたい

大別すると、この3点が考えられます。

それぞれが複合しているのがだいたいのひとの心情でしょう。

まず①ですが、麻雀はギャンブルとして大して面白くありません。何故なら対局に時間がかかりすぎるのと、動くお金が少なすぎます。一般的なフリー雀荘のレートでは、よっぽど強いひとでも場代負けします。勝ったところで、「同じお金で長く遊べる」というメリットしかありません。ギャンブルとして楽しむには高レートのマンション麻雀などしかありませんが、かなり少数派ですよね。

②ですが、リアル麻雀では一部の雀荘を除いて成績集計を行っていません。フリーで勝つ、というのは収支がプラスになるということです。いちいち成績をメモするのは面倒くさいので、大抵のひとはやりません。その代わり、祝儀や精算で「お金が集まってくる、あるいは失う」ことで勝ち負けを実感します。成績を実感したいならネトマの方が合理的ですが、リアルじゃなきゃヤダというひとに賭け麻雀が需要があります。

③「お金がかかってないと真剣勝負が出来ない」とはよく言われますが、お金を賭けなくても真剣勝負が出来る場があります。それは「セット」と「競技麻雀」です。競技麻雀は大きなセットみたいなものなので、どちらも同じです。麻雀をガチにやるということは「自分がどれだけ強いか知りたい」ということです。よく「麻雀の実力を測るには何半荘必要か」という議論がなされますが、セットならそんなに何回もやる必要はありません。卓を何度か囲めば自分と相手の力量の差は何となくわかります。結果的に負けてても運が悪くて負けているというのは、何となく察しがつきます。問題はセットを定期的にやる仲間がいないプレイヤーです。フリーだと不特定多数としか対局が出来ないし、構造的に自分の実力を測るものさしがありません。「本質的にフリー麻雀はつまらない」のです。だから「お金を賭ける」「射幸心を煽るルールで興奮させる」というオプションが必要となります。

なんとなく「ノーレートはつまらない理由」が見えてきましたか?

逆に面白いノーレートを挙げましょう。

天鳳は面白いです。何故なら自分の成績が段位やレート、各種戦績データで測れるからです。「客観的評価」という観点からいえば現状もっとも評価されるシステムです。他者から評価されるのに「段位」という具体的な目標があるので、モチベーションを保ちやすいです。

セットや競技麻雀は面白いです。同じ面子で何度も卓を囲めば、表面的な勝ち負けを超えた評価が実感できます。成長して特定のライバルより強くなるという、モチベーションを保ちやすいです。

フリー雀荘は基本的につまらないです。つまらないからこそお金を賭ける需要がありますし、工夫の必要があります。

しつこいですが、お金を賭けることのメリットを挙げましょう。

まず人間は基本的に「お金が増えれば嬉しい」「お金が減れば悔しい」という感情があります。これがスパイスとなって対局にハリが出ます。

ラス確の問題が解決します。例えばラス確定の和了でも満貫だったら800円とか得します。お金を賭けると目無し問題はなくなります。

あと基本的にフリーはつまらない、ということで射幸心を煽るルールが生まれます。

例えば裏ドラ、赤ドラ、抜きドラなどのドラの強化、祝儀チップ、白ポッチ、割目などなど、特殊ルールは数えきれないほどあります。

さて、肝心のノーレート麻雀、つまりノーレートフリーや健康麻雀ですが・・・面白い工夫って、何かありますか?

何度も言いますが、フリー麻雀は基本的につまらないです。

なのにノーレートといったら、一般のオンレートのベーシックルールを単純にお金抜きにしただけで、何の工夫もないことが多いです。どこもかしこも似たようなものです。

まず、ネトマと違いリアル麻雀は実力評価システムがないので、対局が雑になりがちです。例えばラス確問題はオンレートの場合、精算に影響するのでほとんどありませんが、ノーレートの場合、とくに失うものもないので適当になります。適当ならまだマシで、「ラス確とんでもないという意識高いひと」と「どうせトップになれないならどうでもいいという意識低いひと」との間でトラブルになるという話もよく聞きます。これはどちらが悪いというわけではなく、ルールや評価方法に工夫をしない運営の問題です。

健康麻雀とかだと「コミュニケーション」とか「老化防止」とかのメリットが喧伝されますが、逆にいえば麻雀自体が面白くないからこうした付加価値(個人的には価値がないと思います)が語られるんです。

麻雀は会話をしなくても楽しいのが魅力なのに、会話を要求されるとか何の地獄ですか。仲のいい友達とならそりゃ楽しいですよ。でも見知らぬ他人とコミュニケーションしなければならない道理はありません。

ノーレート麻雀はやたら意識が高いというか、崇高な思想をお持ちのようで、麻雀のルールも保守的です。ぶっちゃけネットで打てるルールならわざわざリアルで打つ理由は希薄です。どうせリアルで打つなら東天紅だったり、オールマイティだったり、祝儀だったり、競技ルールだったり、ネットでは打てないルールを打ちたいと思いませんか?

でも特殊ルールのノーレート麻雀なんてほとんど聞きません。麻雀ゆっくりとかごく一部でしょう。

ノーレート麻雀がつまらないのは、麻雀打ちがギャンブル狂だからではありません。

麻雀の本質が見えていない単純に「賭けない(だけの)麻雀」を訴えているからです。

麻雀打ちが求めているのは「賭け麻雀」でも「賭けない麻雀」でもありません。「面白い麻雀」です。

ノーレート麻雀の悪口をさんざん言いましたが、「工夫のある」経営者のいるノーレート麻雀は面白いです。

「賭け麻雀」から「賭け」を抜いて「麻雀」とする手抜きはやめましょう。

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