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美女の正体


下村一喜先生の『美女の正体』を読んだ。
まえがき、から、あとがき、まで。
丁寧に、そして完璧に仕上げられていた。


装丁(背表紙!)や、
マットな質感やタイポグラフィーに至るまで
先生の真摯さ、細やかさが伝わってくる。

ポージングやスタイリングついての考察も
深く、わかりやすく学ぶことができた。

直感を信じるのがカウンターサッカーなら、
先生の場合はティキタカだと言わざるを得ない。

先生の築き上げた美女なるものの
膨大なメモリーへの執着が切々と語られる。

そんな稀有なアーカイブは保存ではない。
熟成とか醗酵みたいなマチュアが存在する。

被写体とアーカイブをインテグレートする。
その才能が圧倒的に魅力的なのだ。

挫折や葛藤を切り拓いてきた先生の人生観と、
ハウリングしないようなセンスあるチームに
支えられているのが本当に素晴らしい。

その環境への絶対的な感謝や献身があり、
ティキタカは美しいゴールを獰猛に奪う。


私は美女なるものの棲む業界にはいないが、
世の中の女は誰であれ、
少なからず観られる対象だと思って生きている。

あんた、そこに愛はあるんか?
本物の、愛は、あるんか?

美女の塊であり続ける大地真央さまが
問いかけてくださるのを待つまでもなく、
美意識が宿る美女の正体は愛だ。


私はゲイではないが、
もちろん女性的な部分はたくさんある。

毎日毎日「おばはん」とティキタカを構成する
労働者でいるとそれが一番フィットするからだ。

19歳のバイトの娘たちとの親和性を高める際、
お父さんであるより、お母さんである方が、
圧倒的に働きやすいからだ。

美女になりたくて、というより、
下村一喜先生にシンクロしたくて、
この本を読んだ。

先生にはシンパシーを感じる。
映画の中にトランスして生きてきた。 
そういうところか似ているからだ。

三島由紀夫をリスペクトし、
イギー・ポップには憧れるが、
私の中にデヴィッド・ボウイはいない。

先生は私より3つ学年が上だから、
たぶん、ほぼ同時代を生きのびてきた。
素晴らしい先輩、尊敬すべき兄を得た。

私には兄がいないし、
なんなら父も途中からいない。
妹にとって私は、破綻した兄像しか見せてない。

しかし、
私にはこれから先に新しい人生がある。
トム・ヨークが”creep”で歌っていたのは、
そういうことなのだと思っていい気がしてきた。

だから美女の正体は”creep”だと私は思う。
そうなってくると、私も美女になりたいのだ。

I don’t care if it hurts
I wanna have control
I want a perfect body
I want a perfect soul

I want you to notice
When I’m not around
You’re so fuckin’ special
I wish I was special

変態で気味が悪い自分を知っている。
こんなところに自分はいるべきじゃない。

それを圧倒的なアイデンティティが上回る。
その美しさは形容詞であって動詞ではない。

鏡よ鏡、世界で一番美しいのは?
森の奥で魔女が自問したように。

あなたが、あなたであるために。
何かを捨てなければならないはずだ。

ぼくがぼくであるために
勝ち続けなきゃいけならない、
正しいものは何なのか
それがこの胸に解るまで…。
尾崎豊だって自問していたのだ。

あなたが、あなたであるために、
きっと、あなた自身に打ち勝たないといけない。


本を読み終えて、
あらためて表紙や背表紙を観る。

ハサミは右利き。絡めた指。
ロブスターは左手、そして小指の角度!
そして右手で抑えた右手。

これが、
下村一喜先生の渾身の作品。
先生、ストイック過ぎます!


たっぷり興奮させていただきました。
非常に勉強になりました。

ありがとうございました。

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