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海外で人生の指針となったある出来事

私がチュニジアに滞在していた時の事です。
ある時、首都チュニスでJICAの職員が交通事故で亡くなるということが起きました。チュニジアのニュ-スでもかなり大きく取り上げられました。

JICAの職員は、発展途上国に派遣されるケ-スが多くその為、事故に巻き込まれることがあります。この時にJICAの中でもかなり上の立場であられる事務所長が日本から事故処理の為にいらっしゃいました。たまたま、お話しをうかがう機会がありその時の彼の話の内容が、その後の私自身の「人生での指針」となったのでお話いたします。

ちょうど私がチュニジアを離れる2週間前の事です。
チュニジアにある、つくば大学地中海・北アフリカ研究センターのお世話をされている、日本人の方の夕食にお招きいただいた時の事です。

集まった方達はJICAの元チュニジア事務所長、他には20代の現在国際機関で仕事をされていらっしゃる方3名と私の計6名で、海外生活のいろいろな経験談を話していた時の事です。

元チュニジア事務所長が、以前、あるアフリカの国にJICA事務所長として赴任されていた時のお話でした。ある時、20代の女性隊員が事故に合い片脚を切断しなくてはならない状況になりました。そして、責任者である事務所長がその答えのイエスかノ-かの決断にせまられたと言う事でした。

運悪く日本は真夜中で、彼女のご両親には連絡がつかず、ドクタ-からは急を要すると言われています。
切断しなければ命にかかわってしまうが、でも片足を亡くした後の彼女の将来を考えると....いたたまれない。

そこでどのように考えたかと言うと、彼女が「自分の娘だったらどう決断するか」と考え決断に至ったとのことでした。自分の部下であるJICAの隊員とはいえ人の一生を左右することになります。

海外では他民族が一緒に暮らしているということもあり、なかなか日本の常識を持って物事を判断するというのは難しい状況にあります。

そのような時、決断に至る為の『物差し』ですが、それはその行動が『人としてどうなのか』正しいのか!一概に全部がこれに当てはまるとは言えませんが、普段、日常の中で自分の取っている行動が「人としてどうだろう」と考え、そのことを意識しながら生活をしていく。

常に自分に問いかけることが、いざと言う時の『決断力を磨いていく鍵』になるのではないでしょうか。

今の世の中、価値観がどんどん変化し、ぐらつくことが多くなりました。でも、いくら時代が変わろうともこの基準は変わることはありません。このことは、海外だからと言うことではなく、日本で暮らしている時でも同じです。

実際の状況では難しい場合もありますが、何か問題に直面した時「人としてどうか」を意識することで、知らずに横道にそれていた自分を、軌道修正できるのではないでしょうか。

この記事を書き上げた後、稲盛和夫さんが似たような記事を書かれていたのを見つけましたので、ここで紹介させて頂きます。

私は、経営者という者は企業のリーダーとして「人間としてまず何が正しいのか」ということを判断基準にしなければならないと考えています。経営判断をする場合、一般的な考え方としては「損得」という利害得失で考えがちですが、真の経営者は「善悪」という基準で判断すべきなのです。しかし、善か悪かを判断するにはまず立派な人間性を持っていなければなりません。

では、常に正しい判断をするために必要な人間性はどう磨けばいいのでしょうか。それは、息つく暇もないぐらいに一生懸命、自分に与えられた仕事に打ち込むことです。これが1番の人間性の鍛錬だと私は考えています。

以上です。





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