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サウナで「ととのう」とは

こないだTVブロスの「サ道」特集でコラムの依頼があったときに、2本書いて使わなかったほうです。
僕のは文字数少なめで大したことは書いてないので、下の高野政所さんの記事のほうが実践的に役立つと思う。


===========以下記事===========

 僕も『マンガ サ道』を読んでサウナにハマった口なのだけど、ずっと疑問に思っていることがある。それは、「ととのう」という言葉を使う人が増えたけれど、みんながその言葉で指している体験は本当に同じものなのだろうか、ということだ。

 僕自身の体験としては、サウナと水風呂に入ったあとで椅子に座っていると、全身がフワフワした感じになりつつ石のように重くなるという矛盾した状態になり、脳味噌が螺旋を描きながら宇宙まで上昇していく感じがするという、「ととのう」なんていう穏やかな言葉ではなく「ガンギマリ」とでもいうのがふさわしいような状態になるのだけど、本当にみんなこんな反社会的な感覚を味わっているのだろうか? 水風呂に入って意識が少しシャッキリしたというくらいな感じで「ととのった」と言ってる人も結構いるんじゃないだろうか。

 『マンガ サ道』の前に出版された、文章が主体の『サ道』という本のほうでは、まだ「ととのう」という言葉は出てきていない。『サ道』では、サウナによって気持ちよくなった状態が極彩色のサイケデリックな絵で表現されていて、キマっていると呼ぶのがふさわしい感じがある。

 『マンガ サ道』で初めて「ととのう」という単語が登場する。一般層に向けた作品のためかサイケデリックな描写が少し抑えられる代わりに、「ととのったー!」という決め台詞とともに昇天する作者が描かれるようになる。この描写のキャッチーさがブレイクした要素でもあっただろう。

 別に、この「ととのう」は偽物だ、これが本当の「ととのう」だ、というようなことを主張したいわけじゃない。「ととのう」という一見穏やかで清潔感のある単語にカモフラージュされて、ドロッドロのサイケな体験が世間に広まっていったら面白いと思っているだけだ。キマりたい人はみんなサウナに行けばいいと思う。合法だし。


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