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Dancing: the vertical expression of a horizontal desire legalized by music


『ダンスは、水平の情熱を音楽によって垂直に表現するものである。』


-George Bernard Shaw


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何年か前にエブリデイという映画を観た。

なぜその作品に辿り着いたか覚えていない。
でもはじめて観た日から印象深く残っていて、思い出すたびに観ている。

身体を持たない存在Aが主人公。
(原作ではA、映画ではリアノンが主人公として描かれる)

Aは毎朝違う身体で目覚め、一日その身体の持ち主として生き、0時になるとまた別の身体に移動する。一つの身体にとどまれるのは一日だけで、自身で身体を選ぶことは出来ない。

毎日違う誰かの身体に移動するゆえ、自らの存在を世界に記録することなく、日々装うだけの生活。うまく身体の持ち主としてやり過ごし生きる日々だった。

そんな中で少女リアノンに出会う。
リアノンを前に装いでなく「A」として関わりを持ちたいと思うようになる。

Aと毎日変わる身体(の持ち主)、リアノンの物語。

表向き中央にあるのはラブストーリー。でもそれ以上にA視点の身体の持ち主の生活記録が面白くて。物語中にたくさんの人間に移動する。
節も『6851日目』といった風に日で読み進めていくようになっていて、日の数=Aが移動した人間の数ということ。

Aを通してこれまで関わったことのないような様々な人間の人生を知っていく感じ。

物語は『A』『リアノン』『身体(と持ち主の人生背景)』の3点で紡がれていく。

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物語の設定も新鮮だった。

映画はリアノン視点で進み、毎日外見の違うAが現れるのですが、全員確かにAなんです。Aなのだろう思えたんですよね。

表情なのか、言葉遣いなのか、仕草なのか。
外見以外の何かがAらしさを作っていた。

演者さんたちがすごいのか、オイラの思い込み鮮度がいいのか...その辺はわからない。

外見の情報抜きで人物を捉えるのは容易で無い。

日々共に過ごす人の内側の変化を感じとることは出来たとしても、全くの他人の中に居るその人物を捉えるなんて出来るかな

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Aはこんなことを言ってた

身体が変わると色の見え方、音の聞こえ方、刺激の感じ方も違う。出来事の紐付け方も違う。
人の数だけそれぞれの受け取り方がある。

自身が当たり前だと思っている様々な経験や知識は 、実は自分だけのもので他の人はまた別の当たり前で生きている。それもその人だけの当たり前。

ちょっとユクスキュルっぽいなーと思いつつ
やっぱヒトという生物枠を掘り下げて、生きてる人間の数だけ環世界があるなあと。

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映画の好きなシーンが

Aがアレクサンダー・リンに入り目覚めるシーン。

部屋中に本が並び、何度も読み返したせいか背表紙がよれてるものもある。
そして至る所に貼られた付箋。

付箋にはアレクサンダーが心に留めておきたい言葉が書かれていた。本の引用や、自身で紡いだことばなど色々。

ラフに書かれた言葉と、言葉が書かれた付箋がまばらに貼り巡らされている光景がとても好き。

どういうところが好きか細かく言葉に出来ないのだけど、多分アレクサンダーみたいな生き方に憧れているのだと思う。
きっと自分もそうしたいのだろう。

私はやっぱり
情熱、創造、好奇心、知、本能的

あたりに心が釘付けになる。自分に必要で、大切にしたい感覚なのだと思う。

小説にもいくつか付箋の言葉が載っていて

それが冒頭のダンスについてのことば。



『 Dancing: the vertical expression of a horizontal desire legalized by music. 』

George Bernard Shaw

『ダンスは、水平の情熱を音楽によって垂直に表現するものである。』


このことばを記すアレクサンダーと友達になりたいと思った。


他にもたくさんのことばが並ぶ。

そのシーンだけさらに何回も何回も見返す。
ほんとに好きなところ。


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映画から入り原作に行き着くのは久しぶりだ

海獣の子供
戦場のメリークリスマス-影の獄にて

以来だと思う。

フィクション小説を滅多に読まないのですが、たまに映画を観るような感覚でガーッと読める作品に出会う。幸せだ。


本読んだから映画を観よう!とはならないけど
映画観たから本読もう!はある


エブリデイ、おすすめです。
私が返却したらぜひ読んでみてくださ〜い。

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