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取り止めもない

最近の私は心が過激且つ敏感になっている。

自分に向けられた態度、反応の端々が気になる。特に自分に対して好意的ではない態度に目がいく。言葉の裏側を、本人に聞かずに、勘繰って探る。

そんな本人に聞かないとわからないのはわかっているけど、本人に向き合う体力が残っていなくて、ひたすら勘繰る。不毛。

あと最近はひたすらに眠い。好きあらば寝てる。寝る時間を探す。

とりあえず今日のnoteは私のもやもやの足跡。今後の解決策になればいいな。

取り止めもなく、かく。




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今日はもやもやの頂点に登り詰めた。なんかもういやーになった。どっちに転んでも嫌だったと思うけど、1番悲しくなる方へ転んだ。「わかってましたよー」と平然とした顔をしたが何かが削れた。

1番仲良いと思われる先輩に連絡をした。もやもやのなかいつも思い浮かぶ先輩にとりあえずメッセージした。

ひとしきり喋り、モヤモヤしたこともなんでもない話も、本当に雑談。いつも普通の話でもオチをつけてくれる関西人の鏡のような先輩。

あとは推しの動画を見まくったらカッコ良くて可愛くて元気出たから、待ち受けを推しに変えた。これでオールウェイズ推し。

先輩に「出雲大社行ってきいや」って言われてから始まった、目的地のない旅行。昨日から全国的に寒くて雪が降っている。スタットレスタイヤじゃないから山にはいけない。出雲大社までは山を越えなければならない。

雪の降っていないところを探す。
島根や高知にいる友達に連絡をとってみた、けど、そこでハッとした。

どこにいこうではなく、誰かに会いたくて連絡をとっていた。

昔馴染みの弾力のある友人に声をかけていた。

もし疫病も雪もなければ、私は横浜か仙台に飛んで行きたかった。昔馴染みの私の居場所をすぐに作ってくれるような友人に会いたかったのだ。

場所ではなく、居場所。


ご時世。いろんなことが重なってにっちもさっちもいけなくなった。きっと今までは昔からの友達に連絡して、飲み歩いて喋って食べて、自分自身の居場所を相手の心の中に作っていた。


なんで今暮らしているところでできないんだろう。ご時世のせいなのか、私が変わったのか。心のハードルが上がってしまったのだろうか。それとも私のつまらないプライドなのだろうか。


いつもできていた発散ができなくなって、身動き取れなくなって、この世に自分の居場所がここにないような感覚になる。今年自らいなくなることを選んだ人は、こうだったのかなと、ふと思ったり。


いい子であることを求められている。猛烈にそして強烈に求められている。怖いよね、いい子でいなきゃいけないのって。いい子じゃないと居場所がなくなる気がする。

素の自分とか正直よくわかんないけど、好きな自分は大事にしていきたい。


でも
ちょっと好きな自分がわからなくなった。


日常から離れて夜の町に繰り出した。イノシシがいない夜を歩いた。

貸切のビールバーも何を食べたか覚えていない居酒屋も高校生に勧められたラーメンもめっちゃ楽しかった。


帰り道、帰りたくなかった。けど隣で「帰らなくていいよ」って言ってくれたのが嬉しくてなんとか帰ってこれた。帰らなきゃいけないこともないもんね。


人は鏡だから、ラベルで見られる・いい子であることを強要されると言うことは私も今までしてきたのかも知れない。自分のメガネを外すことが一番大事なのかも知れない。

がんばれわたし!

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