いわゆる性的マジョリティの私が「先生」として「性的マイノリティに関する社会的なこと」を語る価値

新型コロナの影響で慌ただしかった年度末はとうに過ぎ、気づいたら夏休みになっていました。5月あたりから、今までとは少し違う様式や雰囲気で学校生活は始まり、「保健」という今最も必要なのではと思う教養(専門的にはヘルスリテラシーと言ったりする)をどのように限られえた時間で伝え、育むことができるか、勝手に自分で責任感や使命感を負って、授業を行っていました。

さて、日本の多くの高校では、高校二年の十七歳でいわゆる「保健の性教育」の授業を受けます。今年度も例にもれず行いました。そこで印象的なことが起きたので、今日はそのことについてだらだらと書きなぐっていきます。

以下、自分でも「乱暴な言い方ッ!」と思いながら日本の保健科教育における性教育について書いてますので、その辺はご了承ください。


端的に言って、かなり異性愛の色が濃い。具体的には、法律婚以外の結婚に触れない「結婚生活と健康」に関する内容や、家族計画を前提とした避妊法(コンドームと低容量ピル)など異性愛やステレオタイプ?な家族像が強く反映されているように思えるんです。また、細かいところだと、「性に関心を持った時期」に着目して、統計的に男子の方が女子よりも性の目覚めが早いというデータを読み解き、性意識の男女差(男子の方が性に関心がある)などが示されています。

もちろん、異性愛者はマジョリティであり、より多いニーズに応える内容であるということはわかるし、いわゆる父と母と子どもがいる家庭は幸せの一つの形だと思うんです。しかし、マイノリティや法律婚以外の社会的な関係性などが全くと言っていいほど無いんです。

1クラスに何人は性的マイノリティ(性愛の対象や性自認などその内容は多岐にわたるが)がいると言われている中で、私の授業では教科書の内容のみにとどまりたくないと強く思い、様々な工夫をしました。もちろん学習指導要領という文科省が定めているルールブックの範囲内(のつもり)で。

ざっくり紹介すると、性意識の差は男女差だけなく個人差が大きいことや、状況や経験から常に変わっていくことをゲーム的な活動を通して考えさせること。法律婚の他に事実婚やパートナーシップ条例、フランスではPACS制度などがあることを紹介したり、「結婚生活と健康」の内容では、結婚してもしなくてもいいし、好きな人がいてもいなくてもいいけど、今日の学ぶ内容は、自分以外の誰かと健康的に生活するために必要な知識や考え方であることを強調するなどです。

さて、ある日のあるクラス、学期末テストを返却し、残りの時間で「今までの授業で学んだ内容を踏まえ、性や健康に関するわからないことや知りたいことを5つ以上挙げる」という課題を出しました。
この課題は無記名にしました。というのも、この高校にはいわゆる優等生が多く、名前を書くものなら実際の生徒からかけ離れた清く正しい(これが悪いわけではないが)疑問しか出てこない(例:望まない妊娠を減らすための諸外国の政策はあるか、セクシュアルハラスメントの防止対策にはどのようなものがあるか など)。私が生徒に考えてほしかったのは、『今、自分が欲しい情報は何か。どんなことを知らないのか』ということ。それは私自身が知りたいことでもあったので、生徒たちには、「みんなの疑問で多かったものを私が夏休み中にまとめて、二学期以降の授業で関係することあったらお話しするね~」と説明をして課題に取り組ませました。


数十分後、回収した課題プリントを教卓前でパラパラと読んでいると、記名されている紙を見つけました。質問を書いた生徒は運動部に所属しており、部活や趣味などくだらない話を何度かしたことがある、比較的信頼関係が築けていた男子生徒でした。

そこには、
【先生に質問です。ダメならとばしてください。先生は男が好きですか。女が好きですか。】


その下には【筋肉の付け方】【鍛○は本当に効くのか】【身長の伸ばし方】など私が予想していた疑問が連なっていました。


正直戸惑いましたがこの質問は今、答えなければ・・・ッ!と思ったわけです。
というのも、その生徒は課題に黙々と取り組んでいたし、クラスの様子としても「お前書けよ〜w」「え〜やだよ。お前書けよw」「ニヤニヤ、クスクスw」みたいな独特の雰囲気が見られなかったから。何百人の生徒全員の背景を知ることはできないしその必要もないと思っているけど、でも、もし私に語りかけてくれたのなら、しっかり聞いて真摯に答えたいと思いました。

「え〜!名前書いてる人いるし。も〜」クラスにやや大きな笑いの渦が起きる。


「あ、面白い質問があったので今答えますね。絶対後々スライドにまとめる内容でもないので。  先生は男が好きですか。女が好きですか、とのこと。」

少し、クラスの雰囲気が変わる。さっきの流れで笑う生徒と、ぎょっとしている生徒、なんとなく半分ずつくらい。

「いや、これ。ちゃんと前置きでダメならとばしてください、って書いてあるのがいいね。前の授業で、性に関することってその人にとって大切なことだから、不躾に聞いたり暴露するとセクハラになるって勉強したよね。この子は、そのことがちゃんとわかってて偉いので答えます。  私は自分のことを女だと思ってて、女として扱われることに違和感はなくて、男の人が好き。いわゆる性的にマジョリティですね。ていうかこれ、なんでも質問答える回のYoutuberみたいだね。」

また、少し笑いが起こる。


「私が授業でいわゆる性的マイノリティの事例とかを多く出したからかな?でもこの子は気になってたんだもんね。ん〜、異性が好きか、同性が好きかで、私に対する評価が変わるのかな?まあ誰が好きでもいいよね。健康でハッピーなら。ていうか私、高校生の時付き合ってた彼氏がさ、」

ここで生徒たちの「えーーーーー!!!!」の嵐

「おおい!なんだその反応!ちゃんと少し凹むからね、そういうの!まあいいか~はい、ということで〜」
という感じで答え、まとめてはみたものの

私の対応の良し悪しはわからない・・・言葉は選んだつもりだけど、あの空間に性的マイノリティ当事者がいるのか、目の前の子どもたちは私のことをどのように思っているのか、いろいろな条件が影響し合って私の言葉に傷つく人もいるかもわからないわけで・・・それでも、今答えねばならない、と思ったわけで・・・


さて、今日こんなことを書き連ねた理由はというと、私が性教育をする上で重要にしている「私の性教育を受けた生徒たちへの願い」に関わる危惧を感じたからです。

それは、「当事者しか、そのことについて声を上げないと思っている」ことです。

私は、教え子たちが「性について語れる大人」になってほしいと願っています。性について語れるというのは、オープンに性についてなんでも誰とでも話せるということではなく、性について悩みや疑問があったら調べたり、信頼できる誰かに尋ねることができる。誰か親しい人に相談されたら、肯定や同意ができなくても受容的に聞ける。そして自分の考えやわからないことを相手に伝えられること。そういうことが普通にできる大人になってほしいのです。つまりは性についてやさしい世界になればなあと、思っています。

以前も、教え子に「友達の話なんですけど、彼女ができたらしくて。先生オススメのコンドームってありますか?」と授業時間外で個人的に質問されたことがありました。自分のこととして語れないことが悪いことではありません。性についての相談は秘匿性がある方がいいこともあります。そうではなく、なんというか、友達が、という相談の仕方には「主張をしたりその情報を知りたい人=困っている本人」というハードルの高さであるのでは、と思ったのです。

記名なしでいいと言っても、名前を書いてまで、そしてダメならとばしてくださいという文章も付け加えて質問してきた彼でさえ、そう思ったのです。彼の他にも私が性的マイノリティなのではと考えた生徒は数名いるのでは、と予想できます。もちろんそのことで不都合は何も何もありません。
だけど、だからこそ、いわゆる性的マジョリティの、今日の日本において大きな不利益や権利の侵害を被ってない私が、私と同じ性質ではない人たちや、例えば同性婚などその制度ができても、自分にはあまり関係がないように思われることについて17歳に伝えて、考えさせることは価値があるのではないかと思いました。


以前にも noteに書き連ねましたが、性的マイノリティについて当事者の方々が講演会にきてくださった時に、1つも質疑が出なかったことがありました。次の日の授業で、なんで質問しなかったの?と担当クラスで聞いたところ「だって、話してくれた人たちは当事者だから。なんか、傷つけたり、嫌な思いさせちゃったら嫌じゃないですか」と言ってたことを思い出しました。
なんとなく、語る人は当事者で困ってる人で配慮が必要という固定観念があるのではないかと。その考え方が悪いわけではない。もちろん私も少なからずある。そういう気遣いが正しいかは別として、配慮や思いやりになることもわかるのです。それでも、その考えがあると、いざ自分が何かに困ったり悩んだりした時に、声を上げ難くなる枷を自分で作ってしまうのではないかと思ったのです。


私が感じた危惧が、果たして本当に今後の性教育の課題とすべきことなのかはわかりません。それでもなるべく早く何か形にしなくてはと思い、まとまらないながらもnoteに残すことにしたのです。


それでも、私のやりたい、やるべきことの輪郭がまた濃くなった出来事でした。とりあえず、今年度も目の前の子どもたちのためにできることをやろうと思います。

性教育を通してやさしい世界を作りたいと思います。新(性)世界の神に、私はなる。

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