閉店するイタリアンとチャットモンチー

今の街に引っ越す前、行きつけだったイタリアンが3月いっぱいで閉店してしまうらしい。
引っ越してからも何となく惰性でお店の通知をSNSで受け取っていたので、そのお知らせを目にしたときは心底驚いた。

そのお店は、朴訥とした雰囲気のお兄さんが1人でやっていて、料理は最近流行りのSNS映えするようなお洒落な見た目ではなかったけど、何でもおいしくて、特にパスタは絶品だった。そしてとても安かった。
採算が合わなかったのだろうか。コロナウイルスの影響なんかもあったんだろうか。

そのお店を初めて見つけたのは、今の夫となる彼の家に向かう途中だった。当時わたしは実家暮らしであったが、土曜に彼の家に行って泊まり、日曜の夜に帰るという週末だけ同棲のようなことをやっていた。
掲げられた鮮やかな緑白赤の国旗。あまりじっと店内を見ることはできなかったが絶対にイタリアンのお店だと、わたしは彼の家に着くなり熱心に報告し、その日のランチはそこに行ってみることになった。
オープンしたばかりだというそのお店のランチメニューはパスタのみで、トマト系のAパスタかクリームなどのBパスタがあり、前菜かサラダどちらかを選ぶことができた。大盛は無料で、さらにバケットと燻製ホイップバターがついてくる。大食いなわたしたちにとってはそれだけでもありがたいのに、そのどれもが美味しかったので、えらく感動したのを覚えている。
実家が飲食店をやっており、料理にかなりうるさい彼は、なかなか気に入る店ができない分、一度気に入るととにかくそこばかり通う習性があるため、それ以来、週末のランチのどちらかは必ずそのイタリアンで食べるようになった。
まずわたしがABどちらかのパスタを気分で選び、彼はわたしが選ばなかったほうのパスタにする。そして決まってわたしが前菜、彼がサラダのセットで、パスタはどちらも大盛なので、注文は必ず「AB前菜サラダ一つずつ、どちらもパスタは大盛で」ということになり、通う頻度も多かったことから、割と早い段階から常連のような形になって、「いつもので」と注文すればいいようになった。
結婚してからは平日夜も週1回は行くようになり、大体仕事の終わりが早いわたしが先に入店してワインと前菜などをつまみながら彼を待ち、フードのラストオーダーすれすれにお店に飛び込んでくる彼にあわせてメインやパスタなどを頼んでいた。そんな迷惑な客をお兄さんはいつも快く迎えてくれた。
その後、将来の子育てのことなどを考えて、わたしの実家に比較的近い今の街に引っ越してからは、近くに行く用事もなく、すっかりご無沙汰になってしまっていた。

最近全く行っていなかったのだから、今の自分の生活に何が影響するわけではないけれど、胸に残るざわざわとした寂しさ。
この感じをいつかにも経験したなと思い返すと、チャットモンチーの解散を知ったときに似ていた。

正直わたしはチャットモンチーのファンだったわけではない。ドラムの人が脱退して2人になってからの曲は解散を知ってから聴いたくらいだ。
でも、「生命力」と「告白」のアルバムは好きで、特に当時付き合っていた彼氏(今の夫ではない)とデートに出かけるときは必ず聴いていた。
それが「風吹けば恋」あたりなら良かったのだけど、わたしがまず聴いていたのは「8cmのピンヒール」で、しかも「ねぇ私のこと全部わかるって言ったけど あなた何も見えてなかった この涙はね あなたの全てを盗むため 真っ白いハンカチにつけた染み」というフレーズを聴くためだったから、あまりロクな恋愛ではなかったと言えるだろう。
でも、その元彼を、よくぶらぶらしたショッピングモールを、住んでいたボロすぎる寮をふと思い出すとき、いつも頭の中には8cmのピンヒールが流れる。
そういう、記憶の付箋のような曲がわたしの中にはいくつかあるが、その曲を作った人たちが解散するのはチャットモンチーが初めてだった。
解散を惜しんだりする権利はわたしにはない。ファンでもなくCDの売り上げに貢献していたわけでもないのに、解散しないでほしいなんてあまりにも虫のいい話だ。
でも、だからといって寂しいと思う気持ちをなかったことにすることもできなくて、消化不良のその感情は心の隅の隅にずっと残っていた。

今も、そんな感じだ。

夫のことはもちろん大切に想っているが、子どもが生まれて、夫への愛情は少しだけ変わった。悪い意味ではない。2人の血を分けた子どもが生まれて、家族としての結びつきや絆はより深まったと思う。

でも、かつてあの街で彼に真っ直ぐ恋をしていたわたしはもう「過去」になってしまった。
その記憶に付箋をつけるならば、間違いなくあのイタリアンの味だ。アジのマリネ、燻製のホイップバター、熱々のクリームペンネ…。

ただ、音楽や曲そのものはバンドが解散しても残り続けるが、料理はそのお店がなくなってしまったら二度と味わうことができないので、その記憶は風化していくしかない。現にディナーでほぼ毎回食べていた牡蠣のソテーがどんな味付けだったかもう思い出せなくなってしまっている。最後に行ってからまだ3年くらいしか経っていないというのに。
誰かに愛されたくて適当に大人しい女の子を演じていた昔の自分は、チャットモンチーのアルバムを引っ張り出してくればいつでも鮮やかに蘇ってくるというのに…。

と、ここまで書き進めて、はたと気づく。料理はもう二度と食べられなくても、いつもあのお店で飲んでいたワインならば入手できるのではないか。
記憶を必死で辿り、やっと思い出す。ロゼのスパークリングワインの名前は、アンジュエールだ。
普段であれば辛口の白ワインのほうが好きなのだが、夫を待ちながらぐびぐび飲むのには甘くてアルコール度数が控えめなこのワインがもってこいだった。調べてみると、ネット通販でかなり安く買えるようだ。
もちろんワインが手に入りそうだからと言って、あのイタリアンが閉店してしまう寂しさを埋めることはできない。でも、どんどん遠ざかっていく大切な思い出を手繰り寄せるための細い糸を見つけたような、そんな安堵が心にじんわり広がっていくのを感じた。

子どもが卒乳したら、このワインを買おう。そして、仕事が終わってお店に駆け込んでくる夫を心待ちにして、飽きもせずお店の入り口を眺めていたあの頃を思い出しながら、その甘い味を楽しむのもいいだろう。