乾杯の音

「乾杯とはー?杯を乾かすことー!」
そんなことを言いながら一気飲みを勧めてくる男子を返り討ちにしていた学生時代も遠い昔で。

美味しいお酒も美味しい飲み方も知って、ついでにちょっと恥ずかしい失敗もいくつか経て、一人前の酒飲みになった私は、心踊る乾杯の瞬間に幾度となく出会ってきた。

それは、大きな仕事を終えた後。
心の渇きをも潤すような、キンキンに冷えたビール。
それぞれの手に持ったジョッキをぶつけ合う、小気味の良い音。

それは、彼との記念日。
うっとりするような香りと繊細な泡が湧き出るシャンパーニュ。
フルートグラスをそっと触れ合わせた、お互いにだけ聴こえるロマンティックな音。

でも、私が「乾杯」と言われて真っ先に思い浮かぶのは、夫と何でもない日に食卓で交わされるものだ。

昨年、子どもを出産した私は、かれこれ1年半以上お酒を飲んでいない。

在宅勤務の日ができた夫が買い出しと料理を担当するようになってから、あんなに好きだったお酒が飲めない私を気遣ってか、冷蔵庫にノンアルコールビールを欠かさずに入れておいてくれるようになった。
そして、餃子や刺身など、「ビールが飲みたいなぁ」と私が思いそうなメニューの日には、何も言わずともグラスまで冷やして準備を整えていた。
それは、お客さんが来たときに冷たいお茶を入れるような、小さくて飲み口の広いグラス。
2人で350ミリリットルの缶を半分こするのにはちょうど良かった。

乾杯、と言ってグラスを合わせる。カチリと涼しげな音がする。
それは、本物のビールより軽やかで爽やかな味わい。
でも、麦茶をただ飲むよりずっと嬉しい。同じ麦のはずなのに、不思議だ。

育児に追われる日々の中では、食事の時間さえも子どもを交代で抱っこしながら慌ただしく過ぎていってしまう。
でも、その乾杯の瞬間だけ、2人は「パパとママ」から「夫婦」に戻っているような気がした。
それはまるで、いつの間にかすることのなくなってしまったキスのように、大事な何かを確かめ合うものであったと思い返すのは、あまりにもノスタルジックに誇張しすぎているだろうか。


今、夫とは離れて暮らしている。
前々からフランスへの転勤が決まっていたのだ。
本当は私と子どもも一緒に行く予定だったけれど、ヨーロッパで新型コロナウイルスが猛威を振るっている中、まだ小さな子どもを連れていく決断ができなかった。
まずは単身赴任してもらい、現地の様子を教えてもらいながら、今後について決めることにしている。
パリではないからそこまでではないと夫は言うが、いつ行けるのか、現時点では未定だ。

夫からのラインのメッセージを開くと、近況報告に「こっちのノンアルコールビールも結構美味しいよ」とか、「頂きもののワイン、卒乳したら一緒に飲もう」などと添えられている。
早く会いたい、という言葉をいつも飲み込んでいるのかもしれないと思うと、少しだけ心がきゅっと痛む。

夫とまた乾杯ができるのは、いつになるだろう。
どんなグラスに、どんな飲み物を注ぐのだろう。
どれもまだわからないけれど、はっきりしていることだってある。

そのときは、必ずやってくるということ。
そして、その音は、とびっきり素敵に響くということだ。