この先の世に残すべきもの

ちょうど、今日でマウイ島のラハイナの大惨事から四十九日、まだまだ数多くの行方不明者がみつからないなか、四十九日を迎えることになる。

これまで49日間、わたしも喪に服する気もちで過ごしていた。

辛かった。

今年はまた特別に暑い夏だった。
秋分の日になっても、まだ暑い日が続いている。

そうして、今は一時的に中断されているけども福島第一原発からの海に放出される汚染水のことに心を痛め、それに追い打ちを与えるようなマスコミや政治家たちがたかだかに言う、科学的に安全安心、という真実のない言葉をほとんどの国民が信じているこの世論の状況にも、わたしの精神状態はボロボロで笑顔もつくれづに過ごしていた。

このままではまわりに迷惑かけて良くないと思いながらも、自分の心境を話す相手も無くなかなか立ち直れない。そんな49日間だった。

言葉ではうまく説明できない喪失感と失望感、
何もやる気がおこらず、
ただただ、朝と夕と海に出て祈り続けるだけだった。

そんな情けない心に追い打ちをかけるように、海でも陸地でも、そしてSNSを開けば、コロナ明けの4年ぶりの夏を過ごす浮ついた空気が漂っていた。

暑さも重なって、体も心も休まる場所は海だけ、、、
そんな日々を過ごした。

陸地での経済活動の手を休め、立ち止まって、太平洋の遠くの島、マウイのことを思い、母なる生命の源、海に心から寄り添う同志はどこにもいない。


わたしが極端なのはわかっている、家族もあきれてサジを投げているのもわかる。

年齢なのかな? とか、
更年期障害かな???と

思ってもみた。


ゆいつの希望の光は小さな子供たちと過ごす放課後や週末の海での時間。

この子らのために、

「この先の世に残すべきもの」

それは清らかな海、

そして調和がとれた母なる地球、

それを目指して、わたしにできることはないだろうか?


お彼岸も過ぎたし、ラハイナの大火災の惨事から四十九日になる日を迎える。

今もホクレアはわたしと同じような気もちでアメリカ西海岸の先住民の末裔たちとの交流を続けながら、大地に海に祈りを捧げながら母なる地球のために海を癒やしながら順調に航海を続けているのだろうと思っていた。マウイ島に思いを馳せながらも頑張って海をすべる彼女の姿がわたしに勇気をあたえてくれた。

けども、

ちょうど、今日朝パソコンを開いた途端に、ナイノア・トンプソンがアナウンスする動画がFBのHokule'a Crew から飛び込んできた。

凄いタイミングだった。

Moananuiakea (大きな海、太平洋)という名前が付けられた今回の環太平洋一周の航海の中断を決心したというアナウンスだった。

被災したラハイナ、マウイ島の人たちにはいまこそホクレアが必要なのだ、

ハワイアンにとってのボイジャーの島、Voyaging Powerhouse 航海の原動力、精神的な支えになっていたマウイ島、ラハイナに慰霊と鎮魂とaloha のために戻るらしいのだ。

被災した人々にはホクレアの姿をひと目見るだけで生きる勇気をもらえるはずだ。

マウイ島にはボヤージングカヌー、Mo'okiha o Pi'ilani 、そしてMo'lele というホクレアよりも古いボヤージングカヌーがラハイナの浜に置いてあり、ラハイナを訪れるたびにわたしをあたたかく迎え入れてくれていた。
このハワイで一番歴史とマナがある1975年に建造されたこのMo'lele が作業場もすべて跡形もなく焼けて消失してしまったのだ。Mo'kiha O Piliani はちょうどモロカイ島に航海中で難を逃れたけども。

そして、マウイは多くのナビゲーターやホクレアのクルーも住んでいる島で、わたしの多くの身近な知り合いもマウイの人たちがほとんどだ。
そしてラハイナの近くの湾、Honolua は古くから必ずタヒチへの航海のときは祈りのために立ち寄りことが決まっている神聖な湾なのだ。

このナイノアのアナウンスに、わたしは驚きもしなかった、やっぱりね、と思った。

四十九日をちょうど終えて発表するところがナイノアらしいなあと思ったぐらい。

ナイノアだけでなく、クルー皆、ホクレアも今までずっと四十九日間悩み続けたと思う。苦しみ続けたと思う。 

何がいちばん大切なことなのか、、、
今、ハワイアンとして、
海を敬い地球を愛するボイジャーとして、どうするべきなのか、

49日間苦悩し続けたのだと思う。

なぜならわたしもそうだったから、、、、

やっと同志をみつけた気分になり、
スッと、こころの雲が晴れていくのを感じた。

アラスカからホクレアが船出してからというもの、
「ホクレアとともにありますように」というのがわたしの毎朝、毎夕、海と浜での祈りの儀式の ”しめ” の言葉になっていた。

わたしはいつのまにか自分が大きな海moananuiakea を通してホクレアとともにあることを感じるようになっていた。 

ちょうど、ホクレアが2007年に日本にやって来たときもそうだった。沖縄の糸満から横浜までの間、ホクレアから離れて茅ヶ崎の自宅に帰ってくると必ずホクレアの夢を見た。日本で哀しみ苦しんでる夢を。そして必ず自分の生活がホクレアに戻るような流れができて、僕はすぐにホクレアに引き寄せられた。

今現在、サンフランシスコの南ハーフムーンベイというあの大波が立つJews で有名な湾の近くに向かっているホクレア、このあとサンタバーバラや、大都市ロサンジェルスや、わたしが子育てを楽しんだオレンジ・カウンティ、ニューポート・ビーチを訪問して、80年代に僕が青春時代を過ごしたアメリカ西海岸の最南端、国境の港町、米国海軍最大の軍港もあるサンディエゴまで行き、ハワイに一旦帰るらしいのだ。その港はなんと20そこそこのわたしが生まれて初めて最初に偶然にも彼女、ホクレアに遭遇した場所でもあるのだ。

マウイの大惨事から四十九日、そしてこのホクレアのMoananuiakea ボヤージングの予定変更を告げるナイノアのアナウンスの言葉と彼の表情を観て、わたしなりにす~とマナが注ぎ込まれた、そんな気がした。

流れに合わせて、自分のクレアナ(使命)をやるべきことを今やるべきだ、まわりの反応や、諸々に起こるであろう障害などを気にしないで、自分の頭で策を練ったり考えたりしないで、海に出たときのフィーリング(メッセージ)を大切にして心のおもむくままに行動を起こすタイミングなんだというメッセージをわたしは受け取った。

そして、ホクレアが今回Moananuiakea を一時中断する理由として、ナイノアが言ってることが印象的だった。

海が、地球が 異常な状態だということ、、、、

海が悲鳴をあげている、

その影響で天候が読めない、今まで以上に航海に危険が伴うということ。

母なる地球のバランスが今までないほどに崩れている。

人間の世界でどんな悲惨なことが起こっても、自然は、地球は待ってくれないということ、人間のリズムには合わせてくれないということ、

だからこそ、ホクレアはこのボヤージングMoaananuiakea を、太平洋を一周しながら海を浄化し、母なる地球を癒やす航海は止めない。
必ず続けるのだ。

それがホクレアのクレアナ(使命)だから、

#いつもホクレアとともにありますように

ありがとう、

Mahalo akua
Mahalo na aumakua
Mahalo na kupuna
Mahalo na makua
Mahalo i aku aloha 
E hoe pu me ke aloha!!
愛をもって海を漕ぐ








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?