雑記帳39:呼ぶモード
「呼ぶ」とは、声をだして名前を言ったり、こちらに来させることである。そして、それはさまざまな言葉と組み合わされることで、意味の広がりをみせる。
呼び水とは「ある物事をひきおこすきっかけ」のことである。たとえば、「彼の盗塁が逆転勝利の呼び水となった」というように。しかし、そもそもの意味は「ポンプの水が出ないとき、またはポンプで揚水するとき、水を導くために外部から入れてポンプ胴内に満たす水」のことである(weblioより)。
ポンプの下に水が来ているだけではダメで、胴内に水を満たすことではじめて水を汲み出せるようになる。もし砂漠でポンプを見つけて命拾いしたと思っても、まず水を用意しなければ水を汲めないということか。なんと絶望的な皮肉。
それはともかく、同じものが一つの場において参画し、接合することによって、導かれるものがある。そのような動きを「呼ぶ」という。それは求めるもの(水)を手にすることを助ける。
先日、NHK「美の壷」で、呼継ぎ(よびつぎ)がとりあげられていた。呼継ぎとは、陶器が割れたりかけたりした時に、別の陶器のかけらで継ぎあわせることである。番組では、魯山人がいろいろな焼物の断片をつぎはぎにくっつけ、創り上げた陶器が紹介されていた。もともと別の焼物なので、形も模様も不揃いでいびつなのだが、しかしこれがなんとも魅力的だった。
西洋では、美術品の破損、汚れ、傷みをわからなくなるように修復(復元)するのだろうが、それをそのままに、というかそれを最大限生かして破格の美に高めてしまうという日本の感性。
それは、異なるものが異なるままに関係しあうことで、新しく生成されるものがあるということだ。そのような営みも「呼ぶ」という。それは、思いがけないものの創造を助けている。
心理臨床では、一方が「呼びかける」ことが相手の応答を「呼び起こし」、そこに「呼応」が起きる。その積み重ねは、目的としていたものか、あるいは想定外のものか、とにかく大切な展開を「呼び寄せる」。「呼ぶ」にかかわる言葉を使うと、このようなまなざしが賦活するような気持ちになれる。
しかも、「呼」は息を吐きだすことである。「呼吸」は吸うことと吐くことの両方から成り立っているが、言葉は息を吸うことではなく、息を吐くことによって発せられる。息を吐き出しながら空気振動を起こし、相手に向けて発するという営みは、きわめて身体的である。その意味では、「呼ぶ」への意識は、身体を含めた関与ということへの関心を力強く後押ししてくれるものでもある。
ところで、「afford」の語義は、辞書をひくと「〜する余裕がある」「〜を提供する」と記されているが、ある先輩は「呼びかける」と和訳した。アフォーダンスという心理学理論はデザインの領域にも広がっていて、そこでは、ある形のドアノブ(物)は私たち(人)に「引いて開ける」という行為の選択を「呼びかける」のだから、その日本語訳は的を射ており、見事というほかない(W)。