「あわい」について、私も考えてみた

 先日の「あわい」についての記事を読み、その「動的な側面」に触発されて、私なりに考えたことを書いてみます。
 「あわい」とは・・・『相異なった「二つのもの」ということですが、その「向いあった二つのもの」が両方から出合うところで重なり交わる、あるいは背き逆らう、そうした相乗・相克のダイナミックな状態や関係を表す言葉だということです。』とのことです。
 このダイナミックな二人の関係は、社交ダンスを踊るときに理想とされる男女の在り方のことを的確に言葉にしていて、ハッとさせられました。以前、社交ダンスをプロの先生から教えてもらったことを基に、ダンスから見えてくる「あわい」について、考えてみました。
~社交ダンスでは~
 互いに相手に自分の中心(重心)を向けて立ち(自分の体重を自分で支えて立つ)、その接点(ラテンでは手の平、モダンでは5つの接点)において「自分の存在を伝える」という意味でほんの少し相手に圧をかけるようにして向かい合うのが基本の姿勢です。その基本姿勢を保ちながら、二人で歩いて移動するのが社交ダンスです。そこには、常に自分の重心の上に居ることと、相手の動きに対して繊細な敏感さで反応できる状態であることが求められます。そのためには、自分自身の身体に少し張り(緊張)を持たせると同時に、相手のどんな動きにも反応できるような緩み(リラックス)が必要です。テレビや動画の映像では、躍動的なステップや回転、美しいポーズが、強く印象に残りますが、観客にとって、最も惹きつけられるのは、二人の間に現れてくる「あわい」であり、それが「二人の作る世界観が素晴らしい」などと賞賛され、何かストーリー性を帯びて伝わるのでしょう。
 心理臨床には観客はいないけれど、そこに参加する二人の在り方について何かしらのヒントになるものではないかと思い、言葉にしてみました。
(KF)
 
 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?