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がっこうぐらし!再考

まんがタイムきららフォワード7月号の発売と共に先日連載が終了した「がっこうぐらし!」のアフターストーリーの「がっこうぐらし!~おたより~」の連載開始が発表された。

良い機会なので当記事ではまんがタイムきららにおける「がっこうぐらし!」がどのような作品だったのかを今一度整理していこうと思う。

逆張り?

「がっこうぐらし!」は所謂きらら系の作品ながらゾンビが闊歩するディストピア的世界観を描く作風がアニメ化をきっかけにして大きな反響を呼び同レーベルの作品群の中でも知名度は高いと言ってもいいだろう。

一方でそういった作風がキャッチ―な層を取り込み大きな誤解を受けている風にも思われる。すなわち可愛らしいキャラの牧歌的な作風——所謂きららっぽさとは真逆のゾンビと血が飛び散るようなダーティーな作風を逆張りの如くレーベルにねじ込んだからそのギャップで注目されたのだ、と。

実写版の映画においてメインビジュアルポスターでゾンビの存在を全面的に押し出した際「ゾンビモノだとばらしたら意味ないだろ」といった反応が多く寄せられたところからもこの作品の最大の特徴にして中核をなすギミックがゾンビとグロテスクな世界(をきららでやっている)といった認識をしている人が多いように感じる。

しかし上で述べた通りこれは大きな誤解である。そもそもゾンビの存在自体は原作の第一話の最後に明示されており読者を作品に引き込む導入剤ではあるがそれ以上でもそれ以下でもない。またこれに次ぐ大きな伏線である主人公ゆきの幻覚設定も5巻で克服し以後は登場していないし、学校に籠城している設定も同じく5巻で高校を放棄して大学に移りさらに大学からもすぐに出発したので籠城している期間も作品全体を踏まえるとそれほど長くはない。

つまるところ「きらららしくない」要素は序盤の時点で消化を終えており、ゾンビであることをポスターでばらそうがばらさなかろうが些細な問題に過ぎないのだ。

では一体この作品は何なのか

結論から言うとずばり「日常系」である。ただしここで「日常系」が包摂している範囲を検証する必要がある。この命題のヒントとなるインタビューを引用する。

「日常系」ってよく使われる言葉ですけど、それは何も事件が起こらない話という意味ではなく、どれだけ日常からかけ離れた世界であっても人である以上避けて通ることができない普遍的な日々の営み、それを通して変化していく心の機微や関係性に焦点を当てた作品を「日常系」と呼ぶのではないでしょうか。※1

まんがタイムきららキャラットで連載中の「まちカドまぞく」の作者である伊藤いづも氏が同作品のアニメ化に際して掲載されたインタビューの一節である。これを踏まえれば「がっこうぐらし!」が紛れもなく「日常系」ということが明らかであろう。

もう少し踏み込んで言うならばゾンビモノに仮託した学園青春物語といった方が正確かもしれない。学校には自分とは異なる人物が集まり友達や仲間を作り自分一人では成しえないようなことをその仲間共に実現していく。その目的となる対象が受験で合格だったり、部活の大会で優勝したりといった中でこの作品は「ゾンビを退け世界を救う」という目標に仲間と成しえていく青春の物語なんだなと読み替えることが出来るわけである。

つまりこの作品のギミックはゾンビそのものではなく学園モノの定番ポイントをゾンビアポカリプス的世界に置き換えて語っているというところにある。

またこの作品は死者が何人か出るのだが、死亡したキャラクターの多数に当てはまる法則として「絶望的世界を免罪符にして他人を踏みつけて生き延びようとした人物」という共通項がある。反対に絶望的状況にも他人を思いやり手を差し伸べる人物は最後まで生き延びた傾向があった。(もちろん全てに当てはまるわけではないが)

平和な世界において日々他人を思いやって助けていくのは紛れもなく「日常的な」営みだろう。だからこそそういった道徳や内面的規範をゾンビを使って破壊し、それでいてなお日常的な思いやりの心を続けられたキャラクターを生存させることで逆説的に日常系としての要素を協調していくわけである。

「勉強も大切だけど学校は勉強だけするところじゃないんです。気の合う友達と頼れる先生がいるところなんです。友達がいて先生がいて楽しいことをして悲しいことを分かち合って悩み事を話し合ってすごいことを考えて。そうして心を繋げたら世界だって救えちゃえるんですよ。」
(原作最終回)

繰り返すがこの作品は決してきららに逆張りをしているわけではない。学園青春モノのツボを押さえつつもそれをゾンビモノの世界観に合わせていくように読み替えているのにすぎないのであり、そういった意味ではむしろきららだからこそ違和感なく繰り出せた作品でさえあると思っている。

そういった意味で筆者は実写版の映画を高く評価している。学園青春やすぐ近くに歩いている恐怖といったJホラー的緊張感など、邦画で擦られていてノウハウが蓄積している要素が見事にマッチングしておりシナリオとしてもみーくんの籠城舞台を同一校舎内に変更するなど1時間40分の尺の中で5巻までの内容が手短に纏まっている。若干の演技力の不足に目を瞑れるならばまだ映画を観たことのない人は是非鑑賞して欲しい。Amazon Primeで現在無料である。

まとめ

以上、自分の中での「がっこうぐらし!」の作品としての立ち位置を自分なりに述べてみた。来月から始まるアフターストーリーが果たして未消化要素の補完なのか純粋にその後を描くのかまだ分からないが非常に楽しみだ。

※1 【インタビュー】『まちカドまぞく』伊藤いづも「子どものころの自分を満足させられるマンガ家になりたい」https://media.comicspace.jp/archives/12126

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