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Moments Musicaux N°4

シェーンベルクの“月に憑かれたピエロ”

ピエール・ブーレーズ指揮/イヴォンヌ・ミントン歌唱


 月にしっとりと照らされたぶどうの房からしたたる夜露のような潤いに満ちた音色、とでもいおうか、ともあれ、一聴、なかなかにおどろおどろしい音楽ではある。
 歌とも、語りともつかない女声に、フルートとピッコロの持ち替え、バス・クラリネットそれに、ピアノや弦楽器などが絡んでゆく。
 急に冷え込んだ中秋の名月のころ、ふと手持ち無沙汰になって夜空を見上げても、曇天で月もない。伝えるべき何物かも、また、何者かもいない。それでもあふれそうな感情がある。そんなとき、詩集を広げるのでもなければ、此(こ)んな音楽でうそ寒い部屋を満たそう。フルート、バス・クラリネット、ヴィオラ、形而上の月夜にしか馳せることのできない想いに楽器は寄り添ってくれる。音楽は、そんな夜に、甘美な果実をたわわに実らせるだけではいれない。そんな夜の音楽は、僕の膝が震えてしまうのをゆるしてくれるようなものでなければ。
 豊饒さが、嘘のように高く去り、地を這いつくばるようにして、痛くしかないその照り映えから逃れるしかない一夜もある。それでも呑むのだ、美しい詩句を。輝かしい正調の調べを。
 世界がおどろおどろしく感じる、それがおどろおどろしさを識ることなら、敢えて、この音楽に耳を傾ける必要はない、という逆説を弄してみよう。
 透き通ってゆく(透徹する)こと、道化ること、それでも抒情を呈すること、それらのことがらを、思い識るのがこの音楽だが、それは、音楽の責任ではないのだろう。つまりは、そんなとき、シェーンベルクの“月に憑かれたピエロ”がやさしく慰撫してくれた魂があった、そんなところだ。
 苦いヨモギがだんだんと高貴なものとなってゆくように、年がふり、香り高い音楽が増えてゆく。そんなこと、望みもしないときに甘美さを増してくるのが、シェーンベルクの音楽だったりするのかもしれない。まあ、危機的なその過程にこのような救いのない様子の音楽が介在してくるのか、こないのか、それは判らないし、そんなことに意を払う必要もない。ただ、…逆説的に、シェーンベルクと邂逅する機会がそこにはある、とだけ言っておこう。失敬、冷えるから、風邪をひかぬように。

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