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おもてなしの食卓

二千年ほど昔、
古代ローマ。

カエサル凱旋の祝宴から
才覚で自分を自分で買い戻した解放奴隷
トリマルキオン(*)の狂宴にいたるまで
おもてなしの食卓は
権力と財力を誇示する場。
            (*)  ペトロニウス(C.Petronius Arbiter, 27~66)
             『サテュリコンSatyricon』中の登場人物

ウツボにウナギ、牡蠣にトリガイ
イソギンチャク、ツグミに小ガモに
ヤギのフィレ肉、イノシシの頭や牝ブタの乳房……
遠来の、あるいは希少な食材は
お抱えの料理人coquusたちの手に委ねられ
魚醤や貴重なコショウを使い
工夫を凝らし技のかぎりを尽くしたソースで調味。
饒舌な美味。

紀元一世紀、
ローマが帝国になったころ
時代の激流を遡り、遠いギリシャの
おもてなしの食卓を語ったのは、
詩人オウィディウス( P. Ovidius Naso、 前43~後17-8? )。   

       🌿  🌿  🌿

舞台はプリュギア。
この国の王ミダスはバッカス神に
触れるものすべてを黄金に変える力を乞い
望みは叶えられたものの、黄金の飲み物に黄金のパン、
飢えと渇きに苦しんで、ついに願いを取り下げた、とか。

そのプリュギアのとある村はずれ、
苫葺きの小屋に一組の老夫婦が暮らしていました。
若い日にこの家で結ばれて、以来
二人はいつも一緒
夫唱婦随、婦唱夫随。
貧しさを愧じることなく、
ことさら隠すでもなく、
あるがままを
あるがままによろこんで
毎日を生きていました。

そんな二人の住まいに、ある日の夕方、
旅の父子(おやこ)が訪ねてきます。
壮年の父と若者はその息子、行き暮れて
一夜の宿を村中で求めて村中で断られ、
この苫屋に辿りついたのでした。

「どうぞ、どうぞ、お入り下さい。」
乾燥させた水草を詰めたクッションを
古びた籐椅子に当て客座を設えると
かまどに木の皮やら枯れ枝やらをくべ燠を掻き立て、
年寄りのこと、背を丸め息を切らせて火をおこし、
大きな鍋に水を張り、沸いたお湯を木桶に流し入れ
客人たちに足湯をつかわせます。

老夫婦は愛想よく
話の接ぎ穂も絶やさぬように
食卓の四本脚のうち短い一本に陶片をかませ
なんとか平らになった天板を
摘んだばかりのミントの緑で拭き清め
食事用の寝椅子には
ハレの日のため仕舞っておいた
古い質素な織物を広げて掛けて。

そのあいだにも段取り良く、
夫が水やりの行き届いた裏庭からキャベツを取り入れてくると
妻は、まわりの硬い葉を除き、柔らかい部分だけをお鍋に。
夫は、二股の鈎で梁に吊るしたブタの背肉を下ろし
かまどの煙で燻されてすっかり黒くなった塊肉を
妻が切り分け、塩味スープに仕立てます。

暖かい料理ができるまで、
和やかなおしゃべりと
オードヴル。

知恵の女神ミネルヴァの果実はオリーヴ。
歯ごたえも清やかな緑の実、
ギリシャ風黒オリーヴはしっかり塩に漬かって
油分がしっとり浸みだし、絶妙。
そしてピクルス。エンダイヴと
去年の秋のグミでしょうか、
いい具合に発酵が進んでいそう。

採れたてラディッシュに温泉卵。
新鮮な卵を、温みの残るかまどの灰の中で
気長にコロコロ転がして出来た一品。
それに、カッテージチーズもありますよ。

おもてなしの食卓には、ワイン。
地元で醸すふだん着の葡萄酒。
地中海地方の強いお酒は水割りで、
そのための什器(=混酒器 crater)も、
――銀器ではなく土器ですが――ちゃんと
テーブルの上に置かれています。
蜜蝋でヒビ割れを塞いだブナ材の杯とともに。

ここでいよいよ今夜のメイン料理、
”キャベツのベーコン風味、プリュギア風”

あとはデザート。
干しイチジクにナツメヤシ(デーツ)、
プラムにクルミ、胡桃の苦味は小粋なアクセント。
季節の果物ならブドウ。紫色の葉もついて蔓のまま
盛られた大ぶりのかごには、香り立つリンゴも。

   真ん中には光り輝くハチミツも、
     そしてそれらすべてに勝って
   疲れも貧しさも知らない
     善意の顔がありました。

       🌿  🌿  🌿

旅人の世話をするのは
古来、神聖な義務。
老夫婦にとっては、
ただ人生のよろこび。

夫の名はピレモン、
妻の名はバウキス。
旅の父子は、
ユピテルとメルクリウス、
二柱の神。

老夫婦の歓待は嘉せられ、
ユピテル神は二人に
「どんな望みも叶えよう、言ってごらん」
老夫婦は答えます。
これまで二人はいつも一緒、
この生を終える時も
できれば一緒でいたいもの。

その後二人は
ユピテルの神殿の守人となり、長く
これまでと変わらぬ日々を送りました。
そして、その日が来たとき、
老夫婦の願いは叶い、
二人は同時に人の生を終え
姿を変えます。
ピレモンは幹太い樫に、
バウキスは菩提樹(セイヨウシナノキ)に。

       🌿  🌿  🌿

プリュギアの野に
驟雨が走る。子猫は
カシの大樹に身を寄せて
小鳥たちと雨宿り。
雨は疾く過ぎ
かたわらのボダイジュの下に立つと
心鎮める香が降りそそぎ……

          🌿

いつか時空の観光旅行、
プリュギアに遊ぶ機会がありましたら
ユピテルの神殿近く、
水辺のカシとボダイジュに、
あの時の子猫はいまも元気にしていると
どうかよろしくお伝えください。

                

          
                  『変身物語  Metamorphoses』巻八
                  「ピレモンとバウキス」による。

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