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こわ〜い話...

夜、祖母のお布団に潜り込んでは
こわ〜いお話をよくねだった。
幼稚園に上がる、ずーと前 ―—

こわ〜いお話は
だいたいいつも同じ
「ウシノトキマイリ」???

祖母猫の家の近くには神社があって
キツネさんのお社なんかもあって
赤い鳥居の周りには背の高い木や
低い木が生い茂っていた。
少し離れて玉砂利サクサク本殿の前には
注連縄を巻いた大イチョウ。

嵐の夜の丑三つ刻(いまだと午前二時ごろ)
白い着物の女の人が松明の焔に照らされて
神木の幹に五寸釘でワラ人形を打ち付ける。
ワラ人形は憎い誰かの身代わり、形代(かたしろ)に
恨みを込めて槌を振るう、一打、また一打……。

吹き荒れる雨風
疾走する松明の焔と松脂の香り、
その姿を見たものは忽ち命を落とす
ウシノトキマイリ。

「こわ〜い」
祖母猫は孫を抱き寄せ
「こわない(怖くない)、こわない」
ドキドキ豆猫は温かな胸にしがみついて
ついでにモミモミ、お喉ゴロゴロ……

こわ〜いお話、大好き。

            🥀

ずいぶん後になって
このこわ〜いお話には
元になる物語があると知った
―— 橋姫伝説。

橋姫は、橋の守護女神。そもそも
橋は、往来の利便を求めてニンゲンたちが
水の流れを横切って設えたもの。
「勝手なことして、スミマセン。
橋の女神さま、どうか、ここに鎮まって
猫たちが無事行き来できますよう
お守りください。」

宇治川。
山間から流れ出る水は、
瀬音高く、水曲渦巻き風を呼ぶ。
制しきれない大自然の荒々しさは
ニンゲンたちの情念をふと思わせて。

ウシノトキマイリのヒロインと
宇治川の橋の女神が、中世
物語世界で一つになった。

『平家物語』の異本中「剣の巻」
都が平安京となって間もない嵯峨帝のころ、
高貴な女性が恋をした。恋焦がれても
振り向いてくれない相手の視線の先には
別の女(ひと)。

だったら、いっそ生きながら鬼になり
人の世の ”縛り” から解き放たれて
恋焦がれる相手の思い人、
あの美しい髪をこの手に絡めて引き回し
豊かな肢体を八つ裂きにして……

鞍馬の渓流、貴船川のほとり
明神の社に姫は籠って願を掛ける。

七日目に神託は降った。
姿かたちを鬼につくり、三七、二十一日間
宇治の激流に身を浸せば、望み通り
生きながら鬼になれると。

神託にしたがい、
姫はいまや鬼の出立ち。
面に朱をさし、身体に丹を塗り
五つに分けて結い上げた髪を五本の角に見立て
頭上に戴くのは上下さかさにした五徳。
煮炊き調度の三本脚に松明をかかげ
口にくわえた松明の両端も燃やして。

おどろおどろしい人影は
丑三つ刻、大和大路を南下
一路、宇治の川辺へ。
急流に身を浸すこと、三七、二十一日
大自然に己が情念を心いくまで委ねて
ついに高貴な女人は生きながらに
鬼となった。

            🥀

物語はお能の舞台へ。
謡曲「鉄輪(かなわ)」

鉄輪は、五徳。
三本の脚が支える鉄の輪の上に
やかんやお鍋をのせて火にかける。
台所仕事が女性の役割とされていた時代
日用の炊事具を逆さに戴き鬼となった妻は
裏切った夫とその相手に恨みを晴らそうと……

出かけては来たものの、不実な男(ひと)は
いまを時めく陰陽師、安倍晴明に護られて
整えた祭壇には三十柱の神々が
悪霊を調伏せんと待ち構える。

幣を廻らした高棚には、
恋人たちの形代、侍烏帽子と鬘。
鬼女は枕の上に置かれた烏帽子に
横たわる夫の姿を認めると
打杖を手にしたまま枕に寄り添い
「あなた、お久しぶりですこと ―— 」
―— いかに殿御よ 珍しや

恨めしや御身と契りしその時は   恨めしい。あなたと結ばれた時
玉椿の八千代           椿咲く春秋を幾たびも共にして
双葉の松の末かけて        二葉の松が大樹となっても心は
変らじとこそ思ひしに       変わらぬと、それなのに一体なぜ私を
などしも捨ては果て給ふらん    見捨てておしまいになったのです?
あら恨めしや           ああ恨めしい……
                                   謡曲「鉄輪」

新潮日本古典集成『謡曲集 上』

捨てた相手に皮肉たっぷり恨みを述べて
憎い敵どもに存分に笞(しもと)を振るうはずが
懐かしい烏帽子に恋しい夫(つま)を見た途端、
愛おしさ抗しがたく鬼と変じた身が
甘美な日々を想い起こす。

見所(観客席)の猫たちは
恐怖と憐憫に心震えて舞台を仰げば
生きながら鬼と変じた後シテの
面(おもて)は「橋姫」。

橋姫、宝生形

            🥀

「恐怖」と「憐憫」は悲劇の二大効果。
哲学者(アリストテレス) の受け売りで                   
西欧猫たちは、尻尾ユラユラおヒゲをピーン。                                  

死すべき人間が人間であることを超え
不死の神々の情念を生きようとするとき
覆してはならない宇宙の秩序が覆され
悲劇が起きる。

ギリシア悲劇の舞台で、古の王や英雄たちが
面(ペルソナ)をつけた俳優猫に憑依して
残酷な運命に立ち向かうとき、それを目にした猫たちは
「恐怖」と「憐憫」に揺さぶられ、自身の内なる
モヤモヤもドロドロもすっかり攪拌され
涙となって、ときには叫びとなって流れ出て
魂は浄化される(カタルシス)。

秩序を取り戻した世界に
立ち現れる静謐の地平 ―—
夜半の嵐が過ぎ、朝霧流れる
宇治の川面とどこか似て。

橋姫は、そのとき
美しく大切な玉の姫、愛(は)し姫となり
恋しい不在者を水の辺に待ち続けることだろう。

さむしろに衣かたしき こよひもや我をまつらん 宇治の橋姫
          又は、うぢのたまひめ
                   『古今和歌集』巻第十四 恋歌四

佐伯梅友 校注
岩波文庫

           🥀

梅雨寒の夜
雨のにおいによみがえる
遠い記憶のほのかな温もり
祖母猫のこわ〜いお話……

こわ〜いお話、大好き ♡ ♡ ♡

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