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猫の音楽

「猫の音楽」は耳障りな音楽と
フランス猫たちはいうけれど、
猫たちにとって音楽は
なくてはならない日ごとの糧。

猫の音楽、もしピアノなら
『吾輩は~ピアノを聴く~猫である』
岡田博美と猫好きソリストたちによる演奏と
ネコの絵いっぱいのCDブック。
(カメラータ・トウキョウ、2016年)

プロローグに代わる一曲目
平吉毅州(ひらよし・たけくに、1936‐1998)の
「踏まれた猫の逆襲」を、岡田博美が演奏する。

楽譜を見たら弾けない(!)あの”名曲”が隠し味、
小さなピアニストたちの発表会には欠かせない小品佳曲。
岡田博美が奏すると、古風な画帳か素描の束を
開いて眺めているみたい。

猫ふんじゃった、って踏まれて
すねて隠れたカーテンの隙間から
前を通るニンゲンの足元めがけて
会心の猫パンチ!
でも爪は収めたままで、ね。

愛らしい「逆襲」のあとは、
クープラン、D.スカルラッティ、ヴィラ=ロボス、
ダリウス・ミヨーからサティ、17世紀から20世紀まで
ネコにゆかりの曲に、子猫満腹、大満足。

それに、ショパンも。
もう四半世紀も昔
「小ネコのワルツですよ。お猫さん、弾いてみませんか?」
「(ニャーむつかしそう)……いつか、また。」と応えたまま
いまだに「いつか、また。」の「華麗なる円舞曲 op.34-3」。

       *     *     *

ピアノのお稽古を怠ける一番の口実は
何をかくそう、同居の旦那ネコ。

猫旦那は、女房がピアノに近づくと
ちょっと太めのおなかをユサユサ揺すりながら
必ずどこかから現れて、やおらペダルに覆いかぶさる。
まさかダンナさまを足蹴にするわけにもいかず
本日のお稽古は(ウフフ)お休み。

彼との趣味の不一致は甚だしく、
遠慮しながら『ポッペアの戴冠』なんぞ聴いていようものなら
廊下の彼方から、がなり声「グゥワァァ(こらぁ!)」
モンテヴェルディもヘンデルも、オペラもピアノも
全部、まとめて大きらい。

ところが裏隣りの年配のご主人が、
「なんとか冬景色」を大音量で流し始めると、
旦那は全速力でやってきて
お隣に一番近い台所の窓辺に駆け上がり
あわててお香盒を作り、半ば目を閉じると
フグゥフグゥと低い喉声を響かせる。

猫旦那が演歌なら、弟のタキシード猫は、
いつもツヤツヤ舞台衣装のボーイソプラノ
(長じて、魅惑のカストラート)。
兄嫁子猫が歌い出すと、足元スリスリ、
ニャンとニャくハーモニー。
「このネコ、歌ってるの?」
もちろん、歌っています。

ロッシーニもびっくりの
新版「猫の二重唱」
そこへ猫旦那が登場
「グワ~(うるさい!)」
で、三重唱?

       *     *     *

二十世紀作品で始まった
『吾輩は~ピアノを聴く~猫である』を
閉じるのも現代曲、助川敏弥(1930-2015)の
「ちいさき いのちの ために」。

輪禍で相次いで失われた
ふたつの小さないのちへの挽歌は
大の愛猫家、フジコ・ヘミングが奏でる。
ピアニストの心に湧き出る涙が
その指先から鍵盤いっぱいに溢れ出て。

「ちいさき いのち」を悼む楽曲は
漱石の門弟、寺田寅彦の『柿の種』にも。
小品「三毛の墓」、詩と手書き譜が
文庫本(岩波文庫)に収められている。

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    三毛のお墓に花が散る
    こんこんこごめの花が散る
    小窓に鳥影小鳥影
    「小鳥の夢でも見ているか」

コゴメウツギ

コゴメウツギの花かげに
さびしい心が独り言つ。
歌もピアノも quasi recit(ando)
ほとんど語っているかのように。

       *     *     *

小鳥の影は
”ねこじゃら荘”の小窓にも。

きのうまでの「フッフォ、フッフッフォ」が
けさは「ホォーホケキョ、ホー、ケキョケキョ」
絶妙のコロラトゥーラに誘われて外へ出てみると
レモンバームの緑のそこここに
コゴメウツギならぬ
ユズの小花が零れている。

♭♭♭を地に解き放ち
立ち昇る白の旋律。
いつかどこかで耳にした、切なく
それでいて不思議に明るい
太初の音の連なり。

見上げれば
花を落としたユズの葉陰に
待ち針の頭よりほんの少し大きいだけの
翡翠色の実が、みっつ、よっつ……。

雨期を迎え、過ぎれば夏。
いのち伸び育つ季節が
また廻り来る。

宇宙のロンド
猫の音楽。

 

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